座頭市物語
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概要
子母沢寛の随筆集『ふところ手帖』に収録されているわずか数ページの短編「座頭市物語」を元に、浪曲「天保水滸伝」の題材として知られる侠客の抗争とその登場人物「平手の造酒(みき)」にからめ、ストーリー・キャラクター共々原作からは大きく離れたほぼオリジナルの作品になっている。主演の勝新太郎は1954年(昭和29年)の大映入社から白塗りの二枚目ばかりを演じてきたが全く芽が出ずにいたが、1960年(昭和35年)の『不知火検校』でそれまでにないダーク・ヒーローを演じ新境地を開いた。
続く1961年(昭和36年)には『悪名』が公開されており、『不知火検校』のスマッシュヒットを受けて発展させた1962年(昭和37年)の本作、そして1965年(昭和40年)には『兵隊やくざ』と次々にヒットを飛ばして勝新三大シリーズが開幕したが、なかでも特に座頭市は勝新太郎を象徴するキャラクターとなっていった。
あらすじ
盲目でありながら居合いの達人であるヤクザの市は、下総飯岡の貸元・助五郎のもとに草鞋を脱いだ。助五郎は留守だったため雑魚部屋に通された市は、丁半博打で彼を騙そうとする飯岡の子分衆から逆に金を巻き上げる。飯岡一家に見切りをつけて出立しようとした市を殺そうと子分衆の一人・蓼吉が追うが、ちょうどそこに親分・助五郎が帰ってきた。助五郎は、笹川の繁造一家と対立中であり、かつて市の居合いを間近で見たこともあって市に長逗留を勧める。市の身の回りの世話には蓼吉が言いつけられた。
ある日、一人で釣りに出かけた市は、繁造一家の用心棒で労咳病みの浪人・平手造酒と出会う。対立する組にそれぞれ縁のある2人だが、互いに不思議な友情を感じあうのだった。
父親と小さな小料理屋を営むおたねは蓼吉の妹だが、別れた蓼吉の兄貴分にしつこく言い寄られ、難儀していたところを市に助けられる。他のヤクザと違う市のやさしさに触れたおたねは、市に好意を抱く。
数日後、笹川の用心棒・平手が喀血し倒れたことを知った助五郎は繁造一家への喧嘩の準備を始める。助五郎の狡猾さに嫌気がさしていた市は、この出入りに関わるつもりはなく、飯岡から出て行く。ちょうどその頃、病に臥せる平手のもとを繁造が訪れる。「用心棒の平手が倒れた今、飯岡側の座頭市を斬れる者がいない。市を斃すために鉄砲を使う」それを聞いた平手は無理を押して起つ。「俺が起きる代わりに、鉄砲は使うな」
ついに飯岡・笹川の出入りが始まる。平手が病を押して加わっていることを聞いた市は、おたねの制止を振り切ってその場に向かう。修羅の如く闘う余命いくばくもない平手は、市との一対一の剣の勝負を望んでいた。
スタッフ
出演
- 座頭市:勝新太郎
- 平手造酒:天知茂
- おたね:万里昌代
- 飯岡助五郎:柳永二郎
- 笹川繁造:島田竜三
- 松岸の半次:三田村元
- 飯岡の乾分・猪助:中村豊
- 飯岡の乾分・蓼吉:南道郎
- 飯岡の乾分・政吉:千葉敏郎
- 飯岡の乾分・清助:守田学
- 飯岡の乾分・安七:浜田雄史
- 飯岡の乾分・為造:西岡弘善
- 飯岡の乾分・音七:細谷新吾
- 飯岡の乾分・羽子造:馬場勝義
- 飯岡の乾分・磯次:結城要
- 笹川の乾分・与五郎:舟木洋一
- 笹川の乾分・茂吉:市川謹也
- 笹川の乾分・利兵衛:尾上栄五郎
- 笹川の乾分・金治:堀北幸夫
- 笹川の乾分・大八:福井隆次
- 笹川の乾分・伊七:千石泰三
- 笹川の乾分・友蔵:谷口昇
- 笹川の飯炊・お兼:小林加奈枝
- 半次の女房・お芳:真城千都世
- 繁造の女房・お豊:毛利郁子
- 蓼吉の父親・弥平:山路義人
- 西光寺住職・瑞念:長岡三郎
背景・製作・評価
池広一夫、『座頭市物語』を語る:ま、勝新(太郎)が、どうして俺の写真撮ってくれないんだって言ってきてね、祇園で酔っぱらって夜中の2時頃うちに来ましてね(笑)。雷ちゃん(市川雷蔵)ばっかり撮ってましたからね。僕は新人だから会社に言われなきゃ撮れないんだよ、じゃあ俺が会社に頼んだらやるかって言うから、そりゃやるよと。それで当時の企画部長(鈴木炤成)が、勝がこんなことを言ってきたけどお前、これちょっと読んでみろって。子母沢寛の『ふところ手帖』を読まされた。その中の『座頭市』というのが、これ、おもろいと思うんだけど、どやって。勝でやろうと思ってる。ホンは犬塚 (稔)さんにたのもうと思ってる。お前やるかと。是非やらせてくれと。これは新しいものが出来ると思いましたからね。その前に勝新の『不知火検校』(60年)というのが出ましてね、それよりもう一つステップが上がったもんが出来るっていう気がしたんでね。で、ホンが出来て、勝新と打ち合わせして、ラストシーンのカットは、こういうカットで終わる、までやってる時に、市川崑さんが来て、『破戒』 (62年)撮るんだけど、どうしても封切に間に合わないから、お前B班やってくれって言うんですよ。いや、僕はちょっと、こういうもんやるんで。結局、いろいろ細かいことは省きますけど、市川さんが社長に電話しちゃって、池広はなんか勝とやくざ物をやるって言って俺のはやれないと。そしたら社長から直接、どうしても今回はそれ降りて、こっちをやれと(笑)[3]。
三隅研次、『座頭市物語』を語る:『座頭市物語』は、最初、池広一夫君のところに持ち込まれた企画だったんですが、池広君が市川崑の『破戒』で応援に出てしまったので、ついに僕がやるようになったんです。すでに本ができていましたけど、いろいろとひねくり回しましてね。こうしたら面白くなるんじゃないか、てなことで撮り始めました[4]。
勝新太郎、『座頭市物語』を語る①:いちばんいい映画というのは、いちばん最初のものだったと思うんですよ、座頭市で。で、興行的にいちばん当たらなかったのも、いちばんはじめのやつですね。そのつぎもまだよかった。ところが、だんだん落ちてきたわけ。落ちたというのか、だんだんお客にコビを売る座頭市になってきた。お客を意識してきちゃった。最初のはそうじゃなかった[5]。
勝新太郎、『座頭市物語』を語る②:座頭市の思い出といえばいろいろあるが、私にいちばん印象の深いものといえば、いろんな意味で最初の『座頭市物語』と、勝プロ第一回作となった『座頭市牢破り』の二本である[6]。
勝新太郎、三隅研次を語る:「座頭市」もずいぶんいろんな監督と撮ったけれど、やっぱり第一作「座頭市物語」(62年)の三隅研次監督。衣笠貞之助さんの助監督だった人だから、非常に「形」を大事にする人だった。が、その「形」をくずすのがもっと好きな人だった[7]。
勝新太郎、天知茂を語る:『座頭市』の最初で、新東宝から天知茂が来て、初めて撮影所に顔出した時、普通のやつとは雰囲気が全然違ってた。普通は「おはようございます」とか「よろしくお願い致します」とかいうんだけど、ぶすっと入って来て、何もいわずに(ぐるりと周りを見回す)―― ちょっと重たいやつが来たな、と。やっぱり俳優さんでも、口のうまい俳優さんはダメね[8]。
天知茂、勝新太郎を語る:一言で申せば、勝さんはファイターであると云う事でしょう。日常生活の中でも。演技と云う意識を持っておられるように感じます。非常に仕事熱心な方で「座頭市物語」の時立廻りなど、自分で、いろいろ研究されておられた点、感心させられました。僕は、この立廻りでは、勝さんの云うままに動いていただけで、僕自身としては、あまり判らなかったわけです。だから勝さんは勝さんで、僕の事を考えてやってくれたようで、大変有難度く思ったものです[9]。
犬塚稔、『座頭市物語』を語る:第一篇の試写が終った後、撮影所内でも勝君への賛辞は相当高く揚っていたし、私ももう少し内面的なものが出ていたら、と僅かな不満はあったが、兎に角見事なものだと思った。しかし、私はその時、まずこの「座頭市物語」を演出した三隅研次君に敬意を表したのだった。非礼な言い方をお許しいただくとして、若しこの最初の「座頭市」を凡庸な演出家が手がけていたならば、或いはただこの一篇で、好漢座頭市は映画から姿を消していたかも知れない[10]。
衣笠貞之助、『座頭市物語』を語る:勝によい企画が見つかってよかったなあ。あれは長谷川(一夫)にも(市川)雷蔵にもやれんもんや。背が低うて小太りで、こう下腹が出とうる。勝はあのままの格好で座頭のからだつき、座頭スタイルや。あれは他人には真似ができんわな。よかった、よかった[11]。
