涙を流す聖ペテロ
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| スペイン語: San Pedro en lágrimas 英語: Saint Peter in Tears | |
| 作者 | バルトロメ・エステバン・ムリーリョ |
|---|---|
| 製作年 | 1650-1655年ごろ |
| 種類 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 148 cm × 104 cm (58 in × 41 in) |
| 所蔵 | ビルバオ美術館 (寄託)、ビルバオ |
『涙を流す聖ペテロ』(なみだをながすせいペテロ、西: San Pedro en lágrimas、英: Saint Peter in Tears)は、17世紀スペイン・バロック期の画家バルトロメ・エステバン・ムリーリョが1650-1655年ごろ、キャンバス上に油彩で制作した絵画である。2000年にビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア銀行 (Banco Bilbao Vizcaya Argentaria) がスペインのビスカヤ県評議会に物納税として譲渡した作品で、以来、ビルバオ美術館に寄託展示されている[1]。

『新約聖書』中の「マタイによる福音書」 (26:57-75)、「マルコによる福音書」 (14:53-72)、「ルカによる福音書」 (23:54-62) の記述によると[2]、イエス・キリストがイスカリオテのユダに率いられた人々に捕えられると、使徒ペテロはキリストの後に従い、大祭司カヤパの邸宅の中庭にまで入り込んだ。彼はそこで見つけられ、キリストの仲間だろうと責められるが、キリストとは無関係だと主張する。その後、ペテロは「鶏が鳴く前に三度私を知らないと言うであろう」という主の言葉を思い出して、悔悟のあまり激しく泣いた[1][2][3][4]。
「悔悛する聖ペテロ」の主題が一般的になったのは16世紀末である。この背景には「悔悛するマグダラのマリア」と同様、当時、対抗宗教改革を推進したカトリック教会の強力な支持があったものと思われる[2]。プロテスタントにとってペテロは主キリストを否んだ使徒に過ぎなかったが、カトリック教徒にとってはカトリック教会の初代教皇であった[4]。また、信仰のみによって救済されるとしたプロテスタントに対し、カトリック教会は悔悛を重視した[1]。ペテロの悔悛の涙は、カトリック教会にとっては罪の許しを乞うための告解という秘蹟の1つの象徴となったのである[4]。
主題
涙を流す聖ペテロの絵画は17世紀のスペインで広く見られたが、とりわけセビーリャ派はいくつかの著名な作例を生んでいる[1]。セビーリャの画家ムリーリョも生涯にわたり、この主題で何点かの作品を制作した。本作はそれらの知られている作品中で最初期のもので、研究者アルフォンソ・ぺレス・サンチェスにより注目されることとなった[1]。
この絵画は個人祈祷用の目的を持ち、明瞭な感情的解釈をするための作品である[1]。聖ペテロは、伝統に従って短い髭と白髪を持つ姿で表されている。彼は鑑賞者の前に苦痛と許しを乞う姿で登場しているが、その態度は涙に濡れた顔、両手の位置、上向きの視線によって伝えられている。彼の横には鍵があり、それは教皇としての地位、ほかの使徒に対する優位性、天国の鍵を開ける能力の象徴である。さらに、鍵の後には、聖ペテロが『新約聖書』中の2つの逸話の著者であることを示す本が置かれている[1]。
聖ペテロは岩の上に座っているが、それもまた特別な意味があるのかもしれない。キリストはペテロを召命した後に、彼の名をシモンから「石」あるいは「岩」を表すペテロに変えたからである。なお、画面に見られる支配的な光と影の強いコントラスト、そして長く、絵具をたっぷり含んだ筆致は、ホセ・デ・リベーラから影響を受けていた1650年代初期のムリーリョに用いられていた技法である[1]。