深津尚子
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| 深津 尚子 |
『世界の選手に見る卓球の戦術・技術』(1967年)より
獲得メダル |
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愛知県額田郡岩津町(現・岡崎市宮石町)出身[1]。生家は紡績業を営んでいた。7人きょうだいの末っ子[2]。岡崎市立奥殿小学校、岡崎市立香山中学校(現・岡崎市立新香山中学校)、桜丘高等学校卒業。1963年、慶應義塾大学文学部社会学科に進学[1]。
1965年4月、ユーゴスラビアのリュブリャナで開催された第28回世界卓球選手権大会に日本代表として参加。団体戦では男女とも中国に敗れるが、深津は女子シングルスで決勝まで進出し、中国の林慧卿と対戦した。
実力的に一枚上の相手に私が勝てる方法は唯一つだけ持久戦に持っていくことだった。私が攻撃をしない限り、ラリーは50本も60本も続く。そして、双方ちょっとした相手のミスをねらうという、技術というより、精神力の勝負となった。相手より一球でも多く返球したいと唯それだけを考えた。新聞記者によると百本近くのラリーもあったという[3]。
深津はフルセットの大接戦の末に優勝、世界チャンピオンとなった。なお、このとき銅メダルを獲得したのは、1967年の第29回世界選手権で団体・混合複優勝した山中教子である。
1967年、日本スポーツ賞を受賞した。
現役引退後は結婚して徳永姓となり、香川県高松市で1946年創業の料亭(二蝶)の女将を長く務めていた[2][4]。
2016年7月1日、岡崎市より市民栄誉賞が授与された[5]。