清水俊史
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アカデミック・ハラスメント被害
清水俊史と馬場紀寿(東京大学教授)は、ブッダゴーサの仏教史における位置づけをめぐり2016年から論争を続けている[4][5]。この論争の過程で、清水はアカデミック・ハラスメント(アカハラ)や出版妨害を受けた[4][5]。
大乗経典と漢訳『阿含経』とでは、『阿含経』の方が(漢訳される前のオリジナルの経典が)先にインドで成立したというのが通説である[6]。大乗経典の内容に関して、『阿含経』などで説かれる部派仏教の教義を「小乗の教え」と蔑視・批判し、大乗の教義こそが真の仏説(釈迦の教説)であるという思想が教義の根底にあるが、『阿含経』側には大乗思想についての言及や批判が全く見られないため、『阿含経』の方が先に成立し、その後それを批判する形で大乗経典が成立したと説明される(加上説・大乗非仏説)[7]。
上座部仏教の『パーリ仏典』の大乗経典に対する優位性(どちらが成立年代が先か)については現在論争中の事案である。漢訳『阿含経』と『パーリ仏典』とでは内容が一部重複し一定の対応関係にあるため、昭和期には『パーリ仏典』の方が大乗経典よりも成立が古いと考えられた[8]。平成期に下田正弘はこの見解の懐疑論を提示した。文献史学(高等批評)研究を踏まえれば、「元々オリジナルの仏説が存在し、それを改編して大乗経典が成立したこと(大乗非仏説)」自体は学術的に正しいと下田は認めているが[9]、漢訳経典(漢訳阿含経・漢訳大乗経典)と『パーリ仏典』を比較したとき、『パーリ仏典』は古い写本が現存していないこと(#パーリ仏典#写本の成立年代)、伝承の系譜が不明である『パーリ仏典』の近代写本のテクストを根拠として紀元前の釈迦の説法を復元推定するのは学問的方法としておかしいと下田は主張した[10]。下田正弘に師事した馬場紀寿は、著書『上座部仏教の思想形成―ブッダからブッダゴーサへ』で上座部仏教の教義の一部は釈迦の直説ではなく『パーリ仏典』の正典化に寄与したブッダゴーサの思惑によって改ざんされたものだとする説を唱えた。馬場によればブッダゴーサが非仏説であるとして大乗経典を恣意的に排除し、また採用した仏典についてもブッダゴーサが信じる教説にそぐわない箇所は改ざんが行われたという。すなわち馬場説は、現在の上座部仏教の教義はブッダゴーサの思想によって成立したものであり、釈迦の直説が改ざんされ、大乗的な要素が排されて成立したとする説である[11]。この馬場説は大乗非仏説に対する一つの反論(上座部も非仏説論、真の仏説不明論)として機能してきた。
しかし清水俊史はこの説に異を唱え、ブッダゴーサは仏典注釈者としての本分を務めたにすぎず経典の改ざんは行わなかったとし、従来の通説通り『パーリ仏典』の方が大乗経典よりも成立が先行するとした。清水説では大乗経典は明らかに後世の創作であるため『パーリ仏典』に採用されず排除されたとした[12]。また清水は、昭和期の仏教学者中村元が主張していた「最古層の仏典スッタニパータに四諦などの仏教の基本教義が見えないこと」を理由に、『パーリ仏典』の教義(上座部の教義)や戒律などの大部分は釈迦入滅後に段階的に成立したとする説も批判しており、清水は言語学的に見てスッタニパータが最古層の仏典であることは認めるが、スッタニパータのような韻文は大衆向けの通俗的なもので仏教の教義を体系的に網羅したものではないので仏教の基本教義が見えなくてもそれらが後世に創作されたという証拠にはならず、『パーリ仏典』に見られる教義や戒律は古くから存在するもので後年に段階的に発展したものではないと論じた[13]。馬場・清水論争は、清水説が正しければ大乗経典よりも『パーリ仏典』の方が成立年代が古く釈迦直説に近いということになり、「上座部も非仏説論・真の仏説不明論」という大乗非仏説の反論を封じ、日本仏教(大乗仏教)の教義は全て釈迦の直説ではなく後世に創作されたものであることが確実になるので、仏教界の注目を集めていた。
2017年、清水の著書『上座部仏教における聖典論の研究』の大蔵出版からの出版をめぐり、「さる先生」から「清水説には研究倫理上の問題がある」などの清水の研究不正の指摘があり、その後「さる先生」とその支持者らによって清水や出版社に対して脅迫的言動を含む出版差し止めの妨害工作が複数回行われた[14][15]。大蔵出版は行った人物の名を明かさなかったが「出版したら清水を潰す。大蔵出版の姿勢も叩く」「清水君が出版をあきらめれば、彼の就職を応援する」などの脅迫的言動があったという[16]。大蔵出版は第三者委員会による調査の結果、清水の研究不正は認められなかったとし、「さる先生」らの行為について学問の自由を脅かす憂慮すべき事態で、かつ「極めて悪質なハラスメント」「不当な出版妨害工作」と判断したと公式声明で発表した[17]。 清水はその後、学術公募に落選して無職となり、一時は日雇い労働で生計を立てていたが、後に仏教研究に復帰した[14][18]。
佐々木閑は馬場・清水論争の論点を整理する評論を発表し、大蔵出版の言う「さる先生」が馬場であることを示唆した。佐々木は「加害者と利害を共有し、 加害者を援護している人もいるようなので、そういった人たちの言動を逐一観察し記録する。その記録は状況が変われば公にできる時が来るかもしれない。ひょっとしたら記録だけ残して死ぬかもしれないが、それはそれで構わない。(略)加害者側が清水氏に対しておこなった行為から類推して、このような評論を公にした私に対しても様々な攻撃がおこなわれる可能性はある。おおっぴらな攻撃は自らの行為を告白するようなものであるから、おそらくは秘密裏に、私の言動の信頼性を損なわせるような策を練るものと思われる。幸いなことに私はもう人生の峠も越し、守るべきものもないので構わないが、そのような私に引き比べて、傑出した能力を持ち堂々と論陣を張りながら邪な妨害によって人生の登り口で足を引っ張られた清水氏の心中を思うとやるせない」とこの告発の覚悟と気概を述べている[19]。
2023年、清水は著書『ブッダという男』のあとがきでアカハラ加害者の中心人物が馬場紀寿であると実名で告発した。清水は、馬場とその支持者ら(森祖道など)から繰り返し圧力と出版妨害を受けてきたとし、全国紙から関係者への取材があったが馬場や森、馬場の指導教官である下田正弘は取材に応じなかったことなどを記している[14][15][20]。清水はresearchmap上で山極伸之も馬場のアカハラに同調したと主張している[21]。
2025年の著書『お布施のからくり』では、職を失い生活困窮を経験したことをきっかけに、路上生活者支援の活動にも関わるようになったと記している[14]。
仏教に関する見解
- 清水は著書『ブッダという男 初期仏典を読みとく』で、「万人の平等を唱えた平和主義者ブッダ」「迷信やドグマを徹底的に否定したブッダ」というようなブッダ観は近代的価値観に基づいて原始仏典を曲解して生み出した神話に過ぎず、本来の釈迦は当時の価値観を持った人物であったとし、暴力を容認し、女性蔑視の感情を持ち、輪廻転生を肯定していたとする説を提示している。
- 清水は大乗非仏説(大乗仏教の教義や経典は後世に創作されたとする説)に立脚しており、大乗経典について「現代の二次創作のようなもの」と述べている[22]。また清水は、大乗経典に基づいてブッダを探求することは、グノーシス派が創作した外典福音書に基づいてイエスを探求するようなもので不適当であると説明している[23]。