馬場紀寿
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研究
ブッダゴーサ
馬場紀寿と清水俊史はブッダゴーサの仏教史における位置づけを巡り、2016年から論争を続けている。
大乗経典と漢訳『阿含経』とでは、『阿含経』の方が(漢訳される前のオリジナルの経典が)先にインドで成立したというのが通説である[11]。大乗経典の内容に関して、『阿含経』などで説かれる部派仏教の教義を「小乗の教え」と蔑視・批判し、大乗の教義こそが真の仏説(釈迦の教説)であるという思想が教義の根底にあるが、『阿含経』側には大乗思想についての言及や批判が全く見られないため、『阿含経』の方が先に成立し、その後それを批判する形で大乗経典が成立したと説明される(加上説・大乗非仏説)[12]。
上座部仏教の『パーリ仏典』の大乗経典に対する優位性(どちらが成立年代が先か)については現在論争中の事案である。漢訳『阿含経』と『パーリ仏典』とでは内容が一部重複し一定の対応関係にあるため、昭和期には『パーリ仏典』の方が大乗経典よりも成立が古いと考えられた[13]。平成期に下田正弘はこの見解の懐疑論を提示した。文献史学(高等批評)研究を踏まえれば、「元々オリジナルの仏説が存在し、それを改編して大乗経典が成立したこと(大乗非仏説)」自体は学術的に正しいと下田は認めているが[14]、漢訳経典(漢訳阿含経・漢訳大乗経典)と『パーリ仏典』を比較したとき、『パーリ仏典』は古い写本が現存していないこと(#パーリ仏典#写本の成立年代)、伝承の系譜が不明である『パーリ仏典』の近代写本のテクストを根拠として紀元前の釈迦の説法を復元推定するのは学問的方法としておかしいと下田は主張した[15]。下田正弘に師事した馬場紀寿は、著書『上座部仏教の思想形成―ブッダからブッダゴーサへ』で上座部仏教の教義の一部は釈迦の直説ではなく『パーリ仏典』の正典化に寄与したブッダゴーサの思惑によって改ざんされたものだとする説を唱えた。馬場によればブッダゴーサが非仏説であるとして大乗経典を恣意的に排除し、また採用した仏典についてもブッダゴーサが信じる教説にそぐわない箇所は改ざんが行われたという。すなわち馬場説は、現在の上座部仏教の教義はブッダゴーサの思想によって成立したものであり、釈迦の直説が改ざんされ、大乗的な要素が排されて成立したとする説である[16]。この馬場説は大乗非仏説に対する一つの反論(上座部も非仏説論、真の仏説不明論)として機能してきた。
しかし清水俊史はこの説に異を唱え、ブッダゴーサは仏典注釈者としての本分を務めたにすぎず経典の改ざんは行わなかったとし、従来の通説通り『パーリ仏典』の方が大乗経典よりも成立が先行するとした。清水説では大乗経典は明らかに後世の創作であるため『パーリ仏典』に採用されず排除されたとした[17]。また清水は、昭和期の仏教学者中村元が主張していた「最古層の仏典スッタニパータに四諦などの仏教の基本教義が見えないこと」を理由に、『パーリ仏典』の教義(上座部の教義)や戒律などの大部分は釈迦入滅後に段階的に成立したとする説も批判しており、清水は言語学的に見てスッタニパータが最古層の仏典であることは認めるが、スッタニパータのような韻文は大衆向けの通俗的なもので仏教の教義を体系的に網羅したものではないので仏教の基本教義が見えなくてもそれらが後世に創作されたという証拠にはならず、『パーリ仏典』に見られる教義や戒律は古くから存在するもので後年に段階的に発展したものではないと論じた[18]。馬場・清水論争は、清水説が正しければ大乗経典よりも『パーリ仏典』の方が成立年代が古く釈迦直説に近いということになり、「上座部も非仏説論・真の仏説不明論」という大乗非仏説の反論を封じ、日本仏教(大乗仏教)の教義は全て釈迦の直説ではなく後世に創作されたものであることが確実になるので、仏教界の注目を集めていた。