渡辺千秋

日本の武士、官僚、政治家 From Wikipedia, the free encyclopedia

渡辺 千秋(わたなべ ちあき、旧字体: 渡邊 千秋1843年6月17日天保14年5月20日〉- 1921年大正10年〉8月27日)は、明治大正期の日本官僚[1]位階勲等爵位は、正二位勲一等伯爵[2][3]

生年月日 1843年6月17日
天保14年5月20日
出生地 江戸幕府信濃国諏訪郡東堀村(現:長野県岡谷市長地柴宮)
没年月日 (1921-08-27) 1921年8月27日(78歳没)
死没地 大日本帝国の旗 日本東京府東京市芝区高輪南町(現:東京都港区高輪
概要 生年月日, 出生地 ...
渡辺わたなべ 千秋ちあき
渡邊 千秋󠄀
生年月日 1843年6月17日
天保14年5月20日
出生地 江戸幕府信濃国諏訪郡東堀村(現:長野県岡谷市長地柴宮)
没年月日 (1921-08-27) 1921年8月27日(78歳没)
死没地 大日本帝国の旗 日本東京府東京市芝区高輪南町(現:東京都港区高輪
称号 正二位
勲一等旭日大綬章
伯爵
子女 渡辺千春(次男)
渡辺千冬(三男)
親族 渡辺政徳(父)
渡辺国武(弟)
渡辺昭(孫)
渡辺允(曾孫)
大日本帝国の旗 第5代 宮内大臣
在任期間 1910年4月1日 - 1914年4月9日
天皇 明治天皇
大正天皇
在任期間 1894年1月29日 - 1909年6月22日
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人物

信濃国諏訪郡東堀村(現:長野県岡谷市)に諏訪高島藩の下級武士・渡辺斧蔵政徳の子として生まれる。楓関と号する。生家は、岡谷市長地柴宮に「旧渡辺家住宅」(県宝指定)として保存されている[4]

明治維新後、鹿児島県大書記官北海道庁長官などを歴任する。大久保利通の計らいで宮内省に奉職し、内蔵頭・宮内次官の後、1910年(明治43年)4月には宮内大臣に就任する。1911年(明治44年)4月、朝鮮併合の功により伯爵になるも、渡辺に何の関係があるのかと疑を生じ、井上馨も大いに憤慨する。元老などにも一言の交渉もなく、桂太郎が渡辺と結託して互いに陞爵を上奏したときの密約だと言われた。1914年(大正3年)4月に辞任する。その理由として、宮内省が武庫離宮造営のために西本願寺須磨別邸を買い上げた際に、賄賂の授受があったためとされる。この背後には、渡辺が山縣閥であったことを、時の第1次山本内閣の法相奥田義人が嫌ったことがあるという説もある[5]。ちなみに、後任には山縣有朋との関係の薄い波多野敬直が任じられた。なお、辞任直前の4月9日に昭憲皇太后が崩御したが、公式には4月11日崩御と発表された。発表が丸2日ずらされたのは、内蔵頭当時の収賄で司直の手が及びかけていた渡辺を急遽更迭させるための措置であったという。

蒐書家として知られ、多くの古典籍や古筆切などを蒐集した。

略歴

栄典

位階
爵位
勲章等
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外国勲章佩用允許
さらに見る 受章年, 国籍 ...
受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1899年(明治32年)4月18日 ロシア帝国の旗 ロシア帝国 神聖スタニスラス第一等勲章英語版[10]
1903年(明治36年)5月7日 清 大清帝国 頭等第三等双竜宝星中国語版[10]
1904年(明治37年)11月29日 大韓帝国 勲一等太極大綬章[10][31]
1908年(明治41年)6月6日 大韓帝国 李花大綬章[10]
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著作

  • 『さしもぐさ』1903年11月。 NCID BA71519708全国書誌番号:40007785
  • 『千秋歌集』 上下巻、渡辺昭、1923年8月。 NCID BN04683024全国書誌番号:43041248

家族・親族・系譜

邸宅

  • 芝区高輪南町にあった別邸は、和館を木子清敬、洋館を木子幸三郎の設計で1905年に建てられたもので、洋館部分は戦後トヨタ自動車のものとなり、長野県に移築されてトヨタ蓼科記念館として使われた[37][38]
  • 大磯にも1897年頃より山王町後・南浜岳・池田に11,000余坪の土地を所有し、別邸があった[39]

出典

参考文献

関連項目

外部リンク

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