港北町 (名古屋市)
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歴史
江戸時代、元文5年(1740年)に干拓された土古山新田の一部で、昭和初期までは水田地帯であった[3][4]。
土古山新田は合併により、町村制が施行された1889年に明徳村、1906年に小碓村の一部となった[5]。1921年に名古屋市に編入されて南区土古町となり[6][7]、1937年の増区により港区に属した[8]。
太平洋戦争後、住宅不足解消のため進められた市営住宅の建設により、現在の町域内の宅地化が進んだ[3][9]。 1952年12月に現在の町域内に名古屋市立港北中学校が移転した[10]。港北中学校は西港中学校の広大な学区を南北に分割して1951年4月に設けられた中学校で、移転までは西港中学校から引き続いて愛知県立惟信高等学校を間借りしていた[11]。
1961年3月28日、土古町から東土古町、泰明町、土古町、港北町と川西通の一部が設けられた[12]。西名古屋港線(通称、現:あおなみ線)が泰明町と土古町・港北町の境界とされた[13]。
1980年代前後に市営住宅の新築や建て替えが行われ、中高層住宅の港北荘、新港北荘、港北南荘となった[3][WEB 6][WEB 7]。
世帯数と人口
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 13]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 14]。
| 番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
|---|---|---|---|
| 全域 | 名古屋市立小碓小学校 | 名古屋市立港北中学校 | 尾張学区 |
