漂流教室 (映画)

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漂流教室』(ひょうりゅうきょうしつ)は、1987年昭和62年)7月11日公開の日本映画[2][3][4][5]日本テレビ放送網バンダイ・東和プロ製作、東宝東和配給[2][5]。原作は楳図かずおの漫画『漂流教室』で、監督は大林宣彦、脚本は橋本以蔵[6]。上映時間は104分[5]

文明が滅びた未来へ学校ごと飛ばされた子どもたちが、懸命に生きていく姿を描く[7][8]

ロサンゼルスから神戸に移り、コーベインターナショナルスクールに通う高松翔は、他の生徒や教師たちと共に学校ごと砂漠に覆われた未来世界へとタイムスリップしてしまう[5]。大人たちが次々に消えていく中、子供たちは一致団結して生き残ろうとする[5]

キャスト

スタッフ

製作

世代を超えて多くのファンを獲得する原作の映像化の検討は早い段階であったが、そのスケールの大きさと予想されるコストの問題から"幻の企画"となっていたといわれる[4][9]1980年代後半のSFX映画ブームの波に乗って映画化が実現した[4]

当初はオーストラリアの砂漠でロケーション撮影するはずであったが諸問題あって中止となり[10]、一部神戸市ロケを除き[10]、全てスタジオ撮影になった[5][10]。『シティロード』1987年8月号の本作紹介記事に「豪州ロケの砂の造型はなかなかのもの」と書かれていることから[11]試写会段階までオーストラリアロケをやったとマスメディアに伝えられていたものと見られる。東宝スタジオに大量の砂を持ち込んで、それが教室に流れ込んだりするシーンが特に大変だったという。背景はマットペインティングによるが、『日本特撮・幻想映画全集』(勁文社、1997年)では砂漠の広さを表現できず閉塞的な画面になったと評している[5]

大林は「完全な請負仕事で、職業監督に徹した」と回想している[12]

脚本は橋本以蔵の単独名義だが、実際は完成した脚本を大林が全面的に書き直した[12]。怪物がピアノを弾くシーンでは大林が着ぐるみの中に入り、自身が作曲した曲を演奏している[5]。大林はこの怪物の描写にはドラキュラ伯爵をイメージしたという[5]

キャスティング

当時、高校受験のため俳優業を休業していた林泰文を大林が「お前は俳優としていいものを持っているから、その時期に映画界と離れて過ごすのは人生にとって損失になる。映画も受験も両方やればいいじゃないか」と説得してメインキャストに抜擢した。林は出演経緯について以下のように説明している。高校受験を控えて役者をやめるつもりで、親にも所属していた劇団ひまわりにも退団を伝えていたが、大林から自宅に電話があり「撮影所に遊びに来ないか」と言われ、怪しさを感じつつも仕方なく、成城東宝撮影所に行った。すると後にクラスメイトになる外国人の子どものオーディションをやっていて、大林の隣りの審査員席に座らされ、4時間の間、大林から「今の子どう?」などと振られた。その後に大林から出演を口説かれたが、やめる意思は固く断るつもりだった。ところが大林が最後に「この映画のロケ地、オーストラリアなんだよな」とボソッと言った。これに気持ちが揺らぎ、出演を承諾したと述べている[10]。元々が英語が大嫌いだったというが、九割以上が英語セリフの映画で、レッスンを受けさせてもらえるわけでもなく、単に日本語が話せない外国人の子どもたちの中に放り込まれ、4カ月近く一緒にいて英語が喋れるようになった[10]。外国人の子どもは、大半が横田基地に来ていた外国人の子どもだったという[10]。本作を通しての経験で、林は英語を上手く話せるようになり、英会話留学を志すきっかけとなったという[12]。本作に出演してもなお、役者を続けることを渋る林に大林は「じゃオレの映画にだけ出てくれればいいから」と大林の紹介した本作で競演シーンもある尾美としのり事務所に所属することになった[10]

評価

大林は原作のテーマは「子供達は地球の未来に蒔かれた種である」と解釈し、「つまりタイムスリップ物ではあるけれども、決して現在に帰って来ない話で。帰って来ないということは、つまり、我々にとっては未来だけれども、子供達にとっては、そここそが今日なんだ。そういう意味で、未来に住みついた子供達の、今日を自分達で創る物語であると。」などと製作当時のインタビューで述べている[13]。大林はパンフレットに「『漂流教室』は地球の未来に住む子供達に贈る、夢の工場産 愛のカンヅメ映画です」と書いている[4]

重い内容の原作に対し未来志向の前向きな作品となっており[5]、原作の東京から舞台を神戸インターナショナル・スクールに変更している[13]。未来人類のデザインや描写が全く違うなど余りにも原作とかけ離れたストーリーだったため[14]、原作者の楳図は自宅(まことちゃんハウス)の縞模様の外壁に怒った近隣住民と同じくらい怒っているといわれる[15]試写以来、一回も見ていないという[14])。大林宣彦のフィルモグラフィの中でも最も影の薄い映画と評される[16]

公開時に酷評した楳図かずおは、2001年『映画秘宝』のインタビューでも「結構注文は言いました。大林監督が怒っちゃうぐらい。大林監督も、ある面じゃ優れた方なんだろうけど、合う合わないがありますし、そもそも理解してない。『これは愛の話なんだ』とか何とか。違う目線のことを言ってましたから。(原作とは大胆に変更があった点については)ちゃんと観てないから覚えてない。だいたいあれを映画にすることが間違ってるんですね。話の長さが2時間に入るかどうか、読めば分かりそうなものなのに(笑)…(映画化を許可した理由には触れず)。単に作品エネルギーをとっちゃおう、ツバつけた、っていう出発点だけでやってるから、愛情がまったくない。きちんとした形で取り上げてもらえないのは、日本映画のレベルの低さが違う部分にあるのかな、と思ってしまいます。人の悪口は言いたくないけど、ビートたけしさんは素晴らしい人だと思うけど、ああいう(北野武映画)タイプの作品が本筋だと思ってもらっちゃうと映画の持っている可能性が狭めていく。映画はダイナミズムとかそちらの方に目が届かないと進歩しないです」などと当時の日本映画も含めて酷評している[14]

シティロード』は「自称"万年18歳"というだけあって大林監督の少年少女への付き合い方は今さらながらハンパじゃない。時の掟を侵してしまった者たちへの苛酷ともいえる仕打ちに、大林監督の意外に東洋的な諦念を垣間見ることができる」などと評している[11]

ぴあ』は「楳図かずおのスケールの大きいコミックが原作ゆえ、映画化が可能か興味が持たれたが、大林宣彦もさすがに消化しきれず」などと評している[3]

大畑晃一によるレビューなど

大畑晃一は『映画秘宝』で「大林宣彦監督と脚本橋本以蔵のコンビは、われわれ原作ファンのまったく予想もしえなかったアイデアとセンスで、スーパー爆裂エンターテインメントに作り上げた」などと論じている[4]

冒頭から主人公・翔(林泰文)が、朝のシャワーを浴びた後、キッチンで朝食を作るエロい服装の母・恵美子(三田佳子)に背後から抱きつき胸を揉み揉み、首筋を舐めまくる[4]帰国子女設定でスキンシップを表現したとはいえ、こんな子供はいるわけはなく、中年の三田ファンに怒りのアドレナリンを放出させる[4]

舞台を神戸のインターナショナルスクールに変更したのは海外セールスを狙ってのものと見られるが[4]、登校中のあゆみ(浅野愛子)の前に現れた大富豪の息子が跪き、中世のお姫様と騎士のように自らの膝頭の上に彼女の足を乗せ紐を結び直す[4]。きょう人と化した関谷(尾美としのり)の描写は、大林の敬愛するハマープロへ捧げるオマージュとされるが[4]、包丁を持って小学校の教室に乱入する設定は14年後の大阪の事件に酷似している[14]。このシーンはくだらないから省く予定もあったといわれる[14]

後半は砂漠に生息する巨大昆虫との戦いだが、原作のサソリ型ではなく、ゴキブリもどきのデザインに変更。この映画のために「ダイレクト・ネガフレックス・プロセス」というSFXの新技術が導入された[4]。このゴキブリ型モンスター退治のプロセスが意味不明な展開。モンスターから子供たちを救うため、みどり先生(南果歩)がピアノを弾き始め、そのメロディにモンスターは大人しくなり、奇跡的に生徒の絶滅は免れる[4]。しかしみどり先生はピアノを弾き続けあげく死ぬ。すると代わりにゴキブリ型モンスターがピアノを弾く[4]

みどり先生の衣装は『転校生』の先生・志穂美悦子と同様、『東京物語』の香川京子が扮した小学校教師のスタイルを踏襲したものだが[17]、そのみどり先生への愛が受け入れられず、どこかに行ってしまうタガート(トロイ・ドナヒュー)は契約切れの処置か。

エンディングはタイムスリップに偶然巻き込まれた勇ちゃん(佐々木一成)と仲良しになっていた愛らしいモンスターイヤアが、竜巻に乗って勇ちゃんが元の世界に帰った後、急速に成長し、変態を起こすと正体はゴキブリ型モンスター[4]。みどり先生のピアノも終了し、子供たちを襲うのかと思いきや、何もせず仲間の群れに帰って行く[4]。少年の一人が「いつか彼らと共存できるかもしれない」と呟く[4]

ソフト状況

バンダイビジュアルからビデオ(品番 BES-250[5])、LDが発売された[3]。その後はソフト化されていない。

脚注

参考文献

外部リンク

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