漢長安城
From Wikipedia, the free encyclopedia
漢の高祖7年(紀元前200年)に都に定められ、恵帝元年(紀元前194年)から5年(紀元前190年)にかけて城壁が築かれた[1]。陽城延が長楽宮・未央宮を造り、長安城を築いたと伝えられる[2]。城壁の形が北壁で北斗七星、南壁で南斗六星に似た屈曲を示すことから、当時には「斗城」とよばれた[1]。
東壁は5940m、南壁は6250m、西壁は4550m、北壁は5950m、全周は25100m[3][4]、総面積は36平方kmにおよぶ。城壁は基底部で12m - 16mの幅があった。外周には幅8m、深さ3mの濠が巡っていた[1]。
東壁には宣平門・清明門・覇城門、南壁には覆盎門・安門・西安門、西壁には章城門・直城門・雍門、北壁には横門・厨城門・洛城門が設けられていた。このうち宣平門・覇城門・西安門・直城門が発掘済みで、それぞれ3本の門道を備えていたことが判明した[1]。
重要な建築跡としては、長楽宮・未央宮・明光宮・北宮・桂宮・武庫・東市・西市などがあった[5]。
長安城内の里は160あり、宣明・建陽・昌陰・尚冠・修城・黄棘・北煥・南平・大昌・戚の10里が知られる[6]。長安城周辺や城中には渠がうがたれ、長安城の東南をはしる昆明故渠(漕渠)や王渠、城内を貫通する明渠などがあった[7]。
脚注
参考文献
- 佐藤武敏『長安』講談社〈講談社学術文庫 1663〉、2004年。ISBN 4-06-159663-2。
- 愛宕元『中国の城郭都市 殷周から明清まで』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2023年。ISBN 978-4-480-51208-6。
- 黄石林、朱乃誠『中国文化史ライブラリー 中国考古の重要発見』高木智見訳、日本エディタースクール出版部、2003年。ISBN 4-88888-330-0。