競技麻雀
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金銭のやり取りがないという以外にも、競技として純粋な実力を競いやすくしている。
例えば、
- 偶然役(一発や裏ドラ・槓ウラなど)を採用しない。ただし天和などは偶然性の役ではあるが採用されることが多い(101競技連盟では、これらも認めていない)。
- ノーテン罰符が無く、流局した時に手を開けなくても良い。
などである。
しかし、現在の一般的なルールと乖離しているなどの理由から、これらのルールを持たない競技団体もあり、かつて厳密なルールだったものを一般にも受け入れやすくするために改定することもある。
また、このような「競技麻雀」のあり方に疑問を持つ愛好家により、ルールを根本的に変更してギャンブル性を取り除く試みもなされている。 なお、かつては競技麻雀の専門誌として「月刊プロ麻雀」が存在したが、2005年11月に休刊したため現在市販されている活字主体の専門誌は存在しない状態である。
2022年の北京冬季オリンピックでは、競技麻雀を室内競技として開催することを目指し、国際マインドスポーツ協会(IMSA)が国際オリンピック委員会(IOC)に申請を行っており[1]、日本でもそれを受けて2018年7月に競技麻雀のプロリーグとしてMリーグが発足するなど、本格的なマインドスポーツ化を目指した動きが一部で進められつつある。
歴史
1920年代に中国から欧米や日本に麻雀が紹介されるとこれらの国で麻雀ブームが起こった。欧米ではルールの不統一が普及を阻んだ一因となりブームは一過性で終わったが、日本では各地で結成された麻雀団体により競技性を高めたルールの整備が進んでいった。1920年代末には関東と関西でそれぞれ統一ルールが制定され、大規模な競技大会が開催されるまでに至った。一時は関東と関西の統一団体を結成する動きが見られたものの、1929年10月に関東側が競技麻雀団体の日本麻雀連盟を結成し、その1か月後に関西側も関西麻雀連盟を結成したため統一団体結成は実現しなかった。
終戦後、雀荘などで戦前から行われていたアルシーアル麻雀に途中リーチ(現在の立直)・ドラ・場ゾロなどを加えた新ルールが取り入れられるようになると、1947年に再建された日本麻雀連盟はこの対抗策として門前重視のルールに変更したものの広く普及するには至らず元に戻されている。1952年に天野大三が日本で最初に立直およびドラを成文化した「報知ルール」を発表し、同年には日本麻雀連盟を脱退して日本牌棋院を設立した。1966年には同じく日本麻雀連盟を脱退した村石利夫が日本麻雀道連盟を設立し、日本の競技麻雀はこれらアマチュア3団体を中心に独自の活動が行われた。
昭和40年代に入り、麻雀を題材とした書籍や小説を発端とする第二次麻雀ブームが起こる。1970年の双葉社主催による第1回名人戦は当時のアマチュア競技麻雀団体の選手3名と阿佐田哲也率いる麻雀新選組の選手2名の計5名によって行われ注目を集めた。全盛期には竹書房主催による当時のアマチュアの強豪らが集うタイトル戦が開催され、1980年代にはこれらタイトル戦の出場者が中心となり競技麻雀のプロ団体を設立した。プロ団体は運営方針の違いなどから分裂を繰り返したものの、近年は分裂当初のような対立は見られなくなっている。