焦循
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学問
焦循の学問の特徴として、「固定化した立場を排除し融通性を重視すること[1]」が挙げられる。例えば、焦循は考証学に属しながら、当時の考証学の硬直化(鄭玄への盲従など)を批判した[12][13][14]。
焦循は戴震と思想傾向が類似するとされる[12]。揚州学派の末裔である劉師培は、「戴震の学問のうち訓詁は王引之、典章は任大椿、義理は焦循に継承された」と述べている[14]。一方で、焦循は戴震に盲従せず、戴震が漢学と宋学の区別に拘泥したことや、『論語』里仁篇の「一貫」の解釈が違うことを批判した[15][16][14]。
数学では、戴震や梅文鼎、ケーグラー(戴進賢)の『暦象考成後編』の学風を継ぎ、中国数学と西洋数学を折衷する立場をとった[17]。阮元の『疇人伝』(東西の数学者・天文学者の列伝)編纂に協力し[11][18]、ミシェル・ブノワ(蒋友仁)『坤輿全図』の地動説に関する箇所を手伝った[17]。著作の『釈輪』ではティコ・ブラーエの体系について、『釈楕』ではカッシーニの楕円運動について扱っている[19]。その他、加減乗除、天元術、『九章算術』劉徽注などを扱った[4][20]。
主な著作
数学・天文暦学
- 『里堂学算記』
- 『天元一釈』
- 『加減乗除釈』
- 『釈輪』
- 『釈楕』
- 『釈弧』
- 『開方通釈』
経学・易学
地誌
- 『邗記』
- 『北湖小志』
- 『揚州府志』
医学
- 『李翁医記』
- 『沙疹吾験篇』
- 『医説』
