片岡直季
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天文13年(1544年)[5]、土佐国高吾北の有力国人・片岡茂光(または片岡直光[6][7])の子として生まれる[8]。母は側室である長宗我部国親の妹[9][注釈 1]。
永禄2年(1559年)、直季を総大将とする片岡氏の軍が和田美濃守(諱は義高[11]、または晴長[12])の拠る上八川を攻め、これを攻略した[13]。この時、長宗我部氏麾下の西野内綱茂から援軍を受けている[14]。和田氏の居城・程野城(上八川城)は重臣たちの寝返りもあって落城し、城主・和田美濃守は山中に逃れた後に自害したという[13]。美濃守の最期については、戦場で首を取られたものの子によって奪い返されたとの話もある[15]。この後、上八川は直季が領主となって治め、直季は神社仏閣の再建や建立を行い、水田の開発を進めるなどしている[16]。
天正13年(1585年)7月、兄・光綱が金子城で戦死し(天正の陣)[17]、天正14年(1586年)12月、光綱の跡を継いだ養嗣子・光政も戸次川の戦いで討死した[18]。この翌年の天正15年(1587年)、直季は病のため死去した[19]。