玉木朋孝
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| サムティ硬式野球部 野手コーチ | |
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2018/2/11、(天福球場)にて | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 | 東京都江戸川区 |
| 生年月日 | 1975年6月13日(50歳) |
| 身長 体重 |
184 cm 78 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 内野手 |
| プロ入り | 1993年 ドラフト3位 |
| 初出場 | 1999年5月18日 |
| 最終出場 | 2005年9月25日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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選手歴 | |
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コーチ歴 | |
この表について
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玉木 朋孝(たまき ともたか、1975年6月13日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手、コーチ。2011年から2022年まで広島東洋カープのコーチを務めていた。
修徳高では同期に高橋尚成、1学年後輩に遠藤竜志がいた。1年秋から四番・遊撃手を任される。3年春に腰を痛めてフォームの修正に時間がかかったものの、夏の東東京大会では準決勝で同点2点適時打を放つ[1]など、チームの夏の甲子園出場に貢献。本大会では育英との準々決勝で公式戦9本目となる本塁打を打っている[2]。大型遊撃手と評価されて同年のドラフトで広島東洋カープに3位指名を受け、契約金と年俸、それぞれ5000万円、480万円(いずれも推定)で入団した[3]。1997年のドラフトで遠藤がカープに逆指名で入団し、プロで再びチームメイトとなる。
1999年に初の一軍出場を果たすが出場機会に恵まれず、2000年オフに自由契約となり、オリックス・ブルーウェーブに入団した。2002年には、自己最多の49試合に出場し、打席数はわずかだったものの打率.302の成績を残した。試合終盤、代走や内野の守備固めでの出場がほとんどだった。
2004年9月27日、オリックス・ブルーウェーブとしての最後の試合で9番・三塁手で先発出場する。またその試合、終盤ファーストに守備変更し、9回表二死、大阪近鉄バファローズ、星野おさむが放った二ゴロを4-3と受け取り、オリックス・ブルーウェーブとして、最後の刺殺を記録する。
2005年の球団合併による選手分配ドラフトではオリックス・バファローズに振り分けられ、引き続きオリックスと契約。同年オフに戦力外通告を受け、現役を引退した。
引退後は広島に戻り、スコアラー(先乗りスコアラー)を務めていた。2011年に二軍守備・走塁コーチに就任した。
RCC広島カープ携帯サイトで、コラム「玉木朋孝のスコアブック」を更新していた。シーズンオフでも更新頻度は高かった[4]。
2014年10月29日、2015年度のコーチング・スタッフが決定され、一軍守備・走塁コーチに就任することが決まった。
2018年からは東京ヤクルトスワローズに移籍した河田雄祐に代わり三塁コーチを務める。
2019年11月8日、山田和利二軍内野守備・走塁コーチと入れ替わる形で一軍から二軍への異動が発表された。
2020年2月22日にNHK BS1で放送された、球辞苑~プロ野球が100倍楽しくなるキーワードたち~「ノック」に出演し、ノック技術を分かりやすく視聴者に伝えている[5]。
2020年11月19日、2021年度のコーチング・スタッフが発表され、3年ぶりに一軍守備・走塁コーチに就任することが決まった。
2022年は再び二軍内野守備・走塁コーチに配置転換される[6]。この年限りでカープを退団する。
2023年からは台湾CPBL・統一ライオンズの守備コーチに就任[7]。2025年限りで退団した[8]。
「プロスポーツ昭和50年会」[9]の会長としても活動している。
2025年12月19日、サムティ硬式野球部(サムティホールディングス株式会社)と、野手コーチとして契約を結んだ[10]。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1999 | 広島 | 20 | 18 | 17 | 1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .294 | .333 | .353 | .686 |
| 2000 | 12 | 14 | 12 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .083 | .154 | .167 | .321 | |
| 2002 | オリックス | 49 | 48 | 43 | 6 | 13 | 1 | 0 | 0 | 14 | 5 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 1 | 12 | 0 | .302 | .348 | .326 | .673 |
| 2003 | 29 | 18 | 16 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 1 | .063 | .118 | .125 | .243 | |
| 2004 | 9 | 10 | 10 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .200 | .200 | .200 | .400 | |
| 2005 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
| 通算:6年 | 120 | 108 | 98 | 14 | 22 | 4 | 0 | 0 | 26 | 6 | 0 | 0 | 4 | 0 | 5 | 0 | 1 | 24 | 1 | .224 | .269 | .265 | .535 | |
記録
- 初記録
- 初出場:1999年5月18日、対阪神タイガース7回戦(米子市民球場)、9回表に遊撃手として出場
- 初打席:1999年5月19日、対阪神タイガース8回戦(米子市民球場)、7回裏に山﨑健の代打として出場、井川慶から四球
- 初先発出場:1999年6月9日、対阪神タイガース10回戦(大阪ドーム)、「6番・三塁手」として先発出場
- 初安打:同上、2回表に吉田豊彦から左中間へ二塁打
- 初打点:2000年4月11日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)、7回表に佐藤康幸から左翼線へ適時二塁打
背番号
- 52(1994年 - 2000年)
- 62(2001年 - 2005年)
- 90(2011年 - 2022年)
- 76(2023年 - 2025年)