琴平山 (香川県)
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香川県のうち善通寺市(ぜんつうじし)、琴平町(ことひらまち)、三豊市(みとよし)にまたがる、標高;616mの山には、「大麻山」(おおさやま)、「象頭山」(ぞうずさん)、およびこの 「琴平山」(ことひらやま)という3つの名称があり、 [1] それぞれの名称が何を示す名称なのかについて、やや混乱が見られる。[注釈 1]
一般的には、この山全体の名称としては、「大麻山」あるいは「象頭山」と呼び、「琴平山」は、この山のうち、南側の標高524mの小ピークを示す名称として使われることが多い。[1] [2]
山全体としての「大麻山(象頭山)」には、北端部に、616mの標高で三角点のあるピークがあり、一般的には、このピークを「大麻山の頂上」とすることが多い。[2] [注釈 2]
この山は頂上部が南北に緩やかに長く伸びており、南端部には、三角点は設置されていないが、標高524mのピークがあり、これがここでいう「琴平山」のピークである。[1] [2]
北端の「大麻山」ピークと、南端部の「琴平山」ピークとの間には一部に車道、一部は登山道があり、「大麻山」ピークを訪れたついで、この「琴平山」ピークに行くことは容易である。[2]
なお「琴平山」ピーク(524m)は、周辺と比べ突出して高いわけではないこともあり、あまり展望は良くない。
山名の由来、金刀比羅宮との関係
この山全体は、金毘羅権現が鎮座する以前は、「大麻神社」を御神体とする霊山であり、全体を大麻山と呼んでいたが、金毘羅権現が鎮座して隆盛してからは「金毘羅大権現」社のある南側を「象頭山」、「大麻神社」のある北側を「大麻山」と呼ぶようになった。
明治元年3月の神仏分離令で権現号は廃止され、金毘羅権現の信仰ができなくなったので、同年6月に大物主を祀る神社となり、神社名は「琴平神社」となったが、翌月に社号の称号として「宮号」を許されたので「金刀比羅宮」となり、山号を琴平山とすることとなった。
しかしこれだと、「刀」という文字を抜くと、「金比羅」となるため、「金」の文字の使用は禁止されていたので、明治4年6月より「事比羅宮」と表記された。[注釈 3]
神社名が定まったとみられる明治6年11月、それまでの村名の「金毘羅村」から「琴平村」に変更(明治23年2月町制施行)したのに伴って、山の名前も「象頭山」から「琴平山」となった。
そして、神仏分離の嵐がおさまった明治22年7月より、神社名は再び「金刀比羅宮」となる。なお、「象頭山」の山名が使われなくなることは、なかった。
明治初年に採用された「琴平」の由来の一つは、この山の山頂部が平らで、木々が風が吹くと琴の音を奏でることからきている、という。
また、別の説として、この山のたたずまいが琴のようであることや、大物主神が琴を好んだこととも云われている。
なお、江戸時代後期の国学者平田篤胤(1776-1843)が『玉欅』の中で、「象頭山は元は琴平といって大物主を祀っていたが、仏書の金毘羅と性格が似てるがゆえ混合して金毘羅と称するようになった」と書かれているところから、当宮の名前が最初は「琴平神社」となったり、当山が「琴平山」になった、との説もある。
また、善通寺から見ると、当山が屏風のように聳えていることから、「屏風ヶ裏」が転じて「屏風浦」となった、との説もある。
当山は塩飽諸島の人々にとって天候を占う「日和山」であったという説もある。
ここを参照→日和山

