大麻山 (香川県三豊市)
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| 大麻山 | |
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| 標高 | 616.2 m |
| 所在地 |
香川県三豊市・善通寺市・琴平町 |
| 位置 | 北緯34度11分48秒 東経133度47分19秒 / 北緯34.19667度 東経133.78861度 |
| 種類 | メサ |

大麻山(おおさやま)は、香川県のうち善通寺市(ぜんつうじし)、琴平町(ことひらまち)、三豊市(みとよし)にまたがる、標高616mの「山」全体、及びこの「山」のうち、その北部の標高 616mの一帯(山頂部)の名称である。
この「山」全体あるいはその一部を、「象頭山」(ぞうずやま)と呼ぶ場合もある。「象頭山」の項も参照のこと。
なお本文中では、混乱を避けるため、山全体を指すときは、「大麻山(象頭山)」と表記する。また標高616mの山頂部一帯は、「大麻山の山頂」と表記する。
(1) 国土地理院の「地理院地図」
香川県のうち善通寺市、琴平町、三豊市にまたがり、東側の中腹に「金刀比羅神社」(こんぴらじんじゃ)のある「山塊」がある。
この「山塊」あるいは「山」の名称や、その「山頂部」の名称については、「大麻山」(おおさやま)、「象頭山」(ぞうずやま)、「琴平山」(ことひらやま)という名称があるが、どの名称が何を示すのか不明確であり、地図、登山ガイドブック類で見てもはっきりしていない。
ウイキペディア内にも「大麻山」の項と、「象頭山」の項が、別個に建てられており、記述内容も異なる。
そこでこの項では、まず各種文献における位置づけをまとめる。なお以下では、この「山」全体のことを、説明の為に「この山塊」と呼ぶ。
「地理院地図」[1] では、「この山塊」の北側部分、標高 616.2mの三角点がある場所に「大麻山」という表記がある。「この山塊」の南側部分、標高 524mの標高値の場所に「琴平山」という表記がある。また「この山塊」の東側山腹部(琴平町側)に「象頭山」という表記がある。
(2) 登山ガイドブック(A)
登山ガイドブック(A)[2] では、「この山塊」全体の名称を「大麻山」(おおさやま)とし、標高は616mとしている。また「琴平山」は、「この山塊」の南側の一角を示す名称とし、「象頭山」(ぞうずやま)は、琴平町側における「この山塊」の別称、と説明している。
(3) 登山ガイドブック(B)
登山ガイドブック(B)[3] では、「この山塊」全体の名称は「大麻山」(おおさやま)とし、かつ北側の、標高616mのピーク(頂上部)の名称も「大麻山」としている。また「この山塊」の南側の標高524mのピークの名称を「琴平山」(ことひらやま)としている。「象頭山」という名称については、『 琴平町側の山容が象の頭に例えられるので、象頭山と一般に呼ばれている』 と記載されている。
(4) 善通寺市 ホームページ
善通寺市のホームページのうち、「大麻山」の項 [4] では、
『 大麻山(おおさやま)は善通寺市の南部から高瀬町の北東部に位置し、標高は616.3m。琴平町の象頭山(ぞうずざん)へと続いています。』 と書かれている。[注釈 1]
この説明文は、「この山塊」のうち、善通寺市に属する地域を、善通寺市側では「大麻山」と呼び、琴平町に属する地域を、琴平町側では「象頭山」と呼ぶ、と読める。
(5) 琴平町 ホームページ
琴平町のホームページのうち、町の概要説明の項 [5] では、
『町域の西側が、標高524m、瀬戸内海国立公園・名勝天然記念物に指定されている象頭山の山裾に沿っています。』 と書かれている。
「大麻山」という単語は書かれていない。また「標高524m」は、「地理院地図」における、「琴平山」の標高に一致する。
(6) 三豊市 ホームページ
概要・地理
ここでは、前項の内容を踏まえ、標高616mの最高点を持つ「大麻山(象頭山)」(おおさやま/ぞうずやま)全体の概要と地理を説明する。[注釈 2]
「大麻山(象頭山)」は、香川県の西部にある山である。南北に長くのびたゆったりした山容をしている。
この山は、「大麻山」という名称で、「四国百名山」の一つに選定されている。[3]
前項の通り、この山全体を「大麻山」あるいは「象頭山」と呼び、北側の標高616.2mの地点一帯も、「大麻山」、あるいは「大麻山の山頂」と呼ぶことが多い。穏やかな主稜線が南北に延びており、南側の少し小高い、標高 524mの地点一帯を、「琴平山」(ことひらやま)と呼ぶことが多い。[1] [2] [3] [4] なお前述の通り「象頭山」という呼び方は、この山の東側、琴平町側から呼ばれることの多い名称である。[1] [2] [3] [4] [5]
これらの山名の由来であるが、「大麻山」という名称は、この周辺が古代に「麻」(あさ)の生産地であったことに由来する、という。[3] [4] また「象頭山」という名称は、特にこの山を東側(琴平町側)から見た場合、北側部分が「象の頭」のようにも見えることから、という。[2] [3]
この山の東側の中腹には、「金刀比羅神社」(金刀比羅宮)(こんぴらじんじゃ/ことひらぐう)の本殿があり、またそこからさらに参道を進んだ、標高 約400mの場所には、「金刀比羅神社」の「奥の院」(奥宮)がある。[2] [3] また頂上稜線部の中央部付近には、雨乞いの神社として「竜王社」がある。[2] [7]
頂上稜線部には、かつては車道に沿って桜並木があったが、[3] 2020年以降に伐採され、少し風情が失われた。
「大麻山の山頂」とその周辺
自然
登山ルート
「大麻山」(象頭山)への登山ルートはいくつもある。最もよく利用されているのは、「金刀比羅神社」の参道を「奥宮」まで進み、そこから登山道へと入り、東斜面を斜上して、頂上稜線部の一角にある「竜王社」へ至り、そこから北へむかって「大麻山の頂上部」へ至るルートである。よく整備されている。[2] [3]
この「竜王社」(りゅうおうしゃ)は、弘法大師に因んで建てられたと言う伝承もあり、「青龍権現」を祀る雨乞いのための神社である。また「金刀比羅信仰」より歴史的には古い、という。[7]
「大麻山」(象頭山)の山頂部までは北の善通寺市側から車道が延びてきており、1990年代頃までは一般車両も頂上稜線部まで行くことができ、頂上稜線部には駐車場もあったので、車で労せずに頂上稜線部まで至ることができた。しかしその後、8合目付近(標高;約500m)より上は、車止めが設置され一般車両の通行は禁止となっている。[2]
この8合目付近は「大麻山の頂上部」の北側直下の位置にあり、ここから「大麻山の頂上部」への直登ルートもある。利用者が少ないせいか、道はあまり整備されていなく急登ではあるが、最短で頂上部へ出られる。[2]
麓から登る道以外に、この「大麻山」(象頭山)にはいくつかの登山道がある。一つは頂上稜線部の道で、北端の「大麻山の頂上部」から南端の「琴平山」(標高 624m地点)まで緩やかな道が続いている。なお整備された登山道は「琴平山」までである。[2]
また東側の中腹部 標高 300~400m付近には山腹をトラバースするように、「工兵道」(こうへいみち)という道がある。この道は、第二次世界大戦以前に、かつて観音寺市に駐屯していた旧)日本陸軍(第11師団)が作り、訓練用に使用していた、と言われる道であり、そこから「工兵道」という俗称が付いた。 [7] この道は頂上へと向かう道ではないが、よく整備されており、また前記の「竜王社」地点などから「工兵道」へつなぐルートもあるため、回遊コースとして利用できる。また途中には、「葵の滝」と呼ばれる火山岩の柱状節理からなる見事な断崖がある。 [2] [7]
地形
地質
この「大麻山」(象頭山)の地質は3段構造になっている。まず一番下の、麓から標高 約350~450m付近までは、讃岐平野の低山に多い、「白亜紀」後期の花崗岩からなっている。その上部には厚さは比較的薄いが、「新第三紀」の「中新世」中期に噴出した、デイサイト質~流紋岩質の火山岩(溶岩、火砕岩)が分布している。さらにその上、最上部には、同じく「中新世」中期に噴出した、「安山岩」および「玄武岩質安山岩」質の火山岩(溶岩、火砕岩)が分布している。[11]
この上部2層の火山岩類は、約1500~1200万年前に噴出した火山岩類であり、非常に古いものなので、これを噴出した火山がどの場所にあったかは不明である。[注釈 4]
讃岐平野に点在する、標高 300~600m程度の低山や台地の多くは、「大麻山」(象頭山)と同様に、その上部が「中新世」中期の火山岩で形成されている。この15~12Ma頃 [注釈 5] に生じた火山活動は、「瀬戸内火山活動」と呼ばれており、讃岐平野のほか、小豆島や近畿地方の一部にもみられる。[12]
この「瀬戸内火山岩類」を噴出した火山活動の要因としては、約20~15Maにかけて、元々はアジアの北東部に位置していた、日本列島の元となる部分が、日本海の開裂とともに四国を含む「西南日本」ブロック [注釈 6] は、南へと移動し、現在の四国にあたる地域は、まだ比較的温度が高かった、当時の「フィリピン海プレート」の上に強制的に乗り上げる恰好となり、その結果、プレート境界部付近でマグマが形成された為に、火山活動が起こった、と考えられている。[13]
「地形」の項で説明した通り、これら上部の火山岩類の浸食抵抗性が大きかったため、長期間の浸食に抗して、この山が「残丘」として今も残っている、と言える。[9]
古墳
「大麻山」(象頭山)の北側山麓部には、国定史跡となっている「有岡古墳群」など多数の古墳がある。
これらの古墳群は、3世紀後半~6世紀頃のものとされ、香川県内でも有数の規模を誇る古墳群である。[14] また「大麻山の山頂」のすぐ北西側の山腹、標高400m付近にも「野田院古墳」(のたのいんこふん)という古墳がある。[15]
この一帯は古墳の多い場所であり、古くから、豪族などが住む重要な場所であったことが推察される。
「野田院古墳」(のたのいんこふん)は大麻山北西麓標高405メートル、テラス状平坦部の非常に高地にある古墳として知られている。古墳は3世紀後半建造の日本国内最古の形状の前方後円墳で、全長44.5m、後円部径21.0m、後円部高2.0m、前方部幅13m、後円部は安山岩塊による積石であるが、前方部は盛り土によって造られている。その前方部は途中、くびれ部が細く締まっていて最先端でまたバチ状に広くなっていることから、前方後円墳発生期の3世紀後半のものと推測される。この土地に最初に現れた権力者の墓であると考えられ、高松市まで連なる古墳地帯と併せて当時の香川県一帯の地域集団関係を研究する上で貴重な資料となっている。[注釈 7]
