田安門

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管理運営 日本国(文部科学省)
構造形式 木造
竣工 江戸前期
田安門
旧江戸城 田安門
(2009年7月13日撮影)
田安門の位置(東京都区部内)
田安門
田安門の位置(東京都内)
田安門
情報
管理運営 日本国(文部科学省)
構造形式 木造
竣工 江戸前期
所在地 東京都千代田区北の丸公園
座標 北緯35度41分38.54秒 東経139度44分57.56秒 / 北緯35.6940389度 東経139.7493222度 / 35.6940389; 139.7493222座標: 北緯35度41分38.54秒 東経139度44分57.56秒 / 北緯35.6940389度 東経139.7493222度 / 35.6940389; 139.7493222
文化財 重要文化財(建造物)
指定・登録等日 1961年(昭和36年)6月7日
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田安門(たやすもん)は、東京都千代田区北の丸公園内にある、旧江戸城の門[1]。北面する高麗門[2]と西側に矩折りに位置する櫓門からなる桝形門である。1961年(昭和36年)に「旧江戸城田安門」として国の重要文化財(建造物)に指定されている。

田安門は、創建年代は明らかではないが、高麗門の扉の釣金具に残された刻銘から、1636年(寛永13年)に建てられたものと考えられている。古くは田安門の辺りは、「田安口」、「飯田口」と呼ばれ、上州方面へ通じる道があったといわれている。門を潜り進むと北の丸公園があり、当時、田安門から南にわたる西側一帯は田安家(田安徳川家)が、東側一帯は清水家(清水徳川家)が、それぞれ所有していた。江戸城造営後は、「北の丸」と称して、代官屋敷や大奥に仕えた女性の隠遁所となった。千姫春日局徳川家康の側室で水戸頼房の准母英勝院の屋敷などがあった。現在は、北の丸公園の出入口となっており、常時出入りができる。「江戸城跡」は国の特別史跡に指定されている。また、江戸城の門としては他に外桜田門清水門重要文化財(建造物)に指定されている[3]

門名の由来

現在の門内の辺りは、当初、田安台といわれていた百姓用地で、そこに田安大明神(現・築土神社)があったことから名付けられた。

沿革

  • 1457年(長禄元年) - 太田道灌によって江戸城が創られた
  • 1590年(天正18年) - 徳川家康の居城となる
  • 1592年(文禄元年) - 江戸城の大規模な改修が行われた
  • 1607年(慶長12年) - 天守閣が建てられる
  • 1636年(寛永13年) - 田安門が太田道灌時代に建てられた、総構が完成し、大城郭としての形がととのえられた
  • 1657年(明暦3年) - 江戸城が大火に見舞われたが、城郭の規模は幕末まで維持された
  • 1730年(享保15年) - 八代将軍吉宗は、次男・宗武を家祖として田安家を興し、宗武の七男・松平定信はここで生まれた[4]
  • 1963年(昭和38年) - 田安門の解体修理が行われた[3]

重要文化財(建造物)

  • 旧江戸城田安門 2棟 - 1961年(昭和36年)6月7日指定。時代:江戸前期、種別:城郭、所有者:国(文部科学省)。江戸城遺構のうち、宮内庁所管以外のもの(田安門、清水門、外桜田門)が重要文化財に指定されている。
    • 田安門(たやすもん)
    1636年(寛永13年)建築高麗門、本瓦葺
    髙麗門と櫓門からなる桝形を形づくっている[5]
    • 櫓門(やぐらもん)
    1636年頃(寛永13年頃)建築、脇戸付櫓門、入母屋造、本瓦葺
    櫓門の上部は復元による[6]

交通

ギャラリー

脚注

関連文献

関連項目

外部リンク

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