田岡満
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1943年5月26日未明、神戸に生まれる。戦後、暴力団・三代目山口組組長となる田岡一雄の長男。一雄が右翼団体玄洋社の頭山満を尊敬していたことから満と名付けられた。六甲中学校から慶應義塾高等学校に進学し、慶應義塾大学経済学部卒業。
1973年、父である田岡一雄の半生を描いた東映映画『山口組三代目』をプロデュース。1974年、続編映画『三代目襲名』をプロデュースし、両作とも大ヒットした。
1974年5月23日、東映が売り出していたスター中村英子と、大阪ロイヤルホテルで結婚[1]。媒酌人は田中清玄夫妻。岡田茂東映社長、俊藤浩滋東映プロデューサーの他、徳間康快、川内康範、飯干晃一、小池一夫、鶴田浩二、高倉健、勝新太郎、中村玉緒、寺島純子、梅宮辰夫、伴淳三郎、五木ひろし、渚ゆう子、山口洋子、吉村道明、沢村忠ら700人の来賓があった[2]。梅田コマ劇場で『どてらい男』に出演中の西郷輝彦・大村崑らは舞台衣装のまま出席。一女をもうけたが、翌年に中村が自殺[3]。
1977年、映画『日本の首領』シリーズをプロデュースし、大ヒットした。
以後は暴力団関連の芸能業務の取締りが厳しくなり、港湾関連の甲陽運輸の経営を行う。また、日本港運協会副会長を務めた。
2006年、シングル『こころの宇宙(そら)』で、演歌歌手としてデビューする。
2011年春の叙勲で黄綬褒章受章が発表された[4]が、2日後に取り消しとなった[5][6]。
2012年10月8日に死去したことが、西岡研介のTwitterにて報じられていた[7]。69歳没。
10月11日葬儀は本願寺神戸別院に於いて密葬として執り行われた。
翌月11月9日には同じく本願寺神戸別院に於いて甲陽運輸が社葬を執り行っている。