甲南町森尻
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歴史
奈良時代に甲賀杣から刈り出された材木を集積し琵琶湖へ下す矢川津のあった場所と考えられる。北部の水田にはかつての条里制地割がみられ、「九ノ坪」、「十七」等、条里坪付が由来の小字が伝えられる。
地名は矢川神社の森の外れに位置することにちなみ[5]、平安時代の保安年間に鳥羽上皇が広隆寺(京都太秦)に寄進した森尻荘としてみえる[6]。1585年の甲賀ゆれと水口岡山城築城によりその支配下に入ったと考えられる[6]。天保13年(1842年)10月に発生した農民一揆(甲賀騒動)では、地域の百姓が矢川神社に集結した。その150年ほど後にあたる1991年、矢川橋東詰に天保義民メモリアルパークが整備された。江戸時代後期に京都から技術移転され、全国的なシェアを得た前挽鋸の製造拠点であり、「近江甲賀の前挽鋸製造用具及び製品」が国の重要有形民俗文化財に指定されている。
世帯数と人口
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
| 番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | 甲賀市立甲南第一小学校 | 甲賀市立甲南中学校 |