甲賀町田堵野
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歴史
地名は、平安時代に荘園の田地耕作を請け負い、領主に年貢を納め、公事を務めた有力農民の「田堵」に由来すると思われるが明らかではない[6]。奈良時代の須恵器が確認された田堵野遺跡がある。1184年7月、近江国内で最後の源平合戦である油日合戦が当地で行われた。伊勢・伊賀の平氏を集めた平家継(平田入道)が田堵野から上野に、近江源氏の佐々木秀義が相模の列結野に陣を敷き、櫟野川を挟んで対戦。戦は近江方が勝利したが、佐々木秀義は戦死した。中世は大原荘に属したと考えられる。その後、大原氏が台頭。和田氏が後に領したとされるが明らかではない。戦国時代には下田堵野に大原氏城が築かれ、現在も土塁などの遺構が残る。1585年の甲賀ゆれと水口岡山城築城によりその支配下に入ったと考えられる[6]。