畝尾都多本神社
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位置
北緯34度29分55.2秒 東経135度48分54秒 / 北緯34.498667度 東経135.81500度座標: 北緯34度29分55.2秒 東経135度48分54秒 / 北緯34.498667度 東経135.81500度
主祭神
泣沢女神
| 畝尾都多本神社 | |
|---|---|
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鳥居 ![]() | |
| 所在地 | 奈良県橿原市木之本144 |
| 位置 | 北緯34度29分55.2秒 東経135度48分54秒 / 北緯34.498667度 東経135.81500度座標: 北緯34度29分55.2秒 東経135度48分54秒 / 北緯34.498667度 東経135.81500度 |
| 主祭神 | 泣沢女神 |
| 神体 | 井戸 |
| 社格等 |
式内社(小) 旧村社 |
| 創建 | 不詳 |
| 別名 | 啼澤神社 |
| 例祭 | 9月25日 |
| 地図 | |
畝尾都多本神社(うねおつたもとじんじゃ)は、奈良県橿原市にある神社である。天香久山北西麓に鎮座し、隣接する北東の位置に同じく式内社の畝尾坐健土安神社が鎮座している。「啼澤神社・哭沢神社・泣沢神社」の別名があり「なきさわのもり」と呼ばれている。
歴史
創建は不明だが、『万葉集』巻第二の二〇二に、
- 哭沢の神社に神酒すゑいのれどもわご玉は高日知らぬ
- (泣沢神社の女神に神酒を捧げて薨じられた皇子の延命を祈っているのに、皇子はついに天を治めになってしまわれた。)
その左注に、
と記されている。これは、持統天皇十年(696)に、松隈女王が再生の神に神酒を捧げ高市皇子の延命を祈ったのに、蘇ることなかったという、泣沢女神を恨む和歌である[3][4]。この事から畝尾都多本神社は、飛鳥時代には既に存在していると考えられる。なお境内石碑には以上の万葉集の注に加えて、「泣沢売神は命乞の神なり」という平田篤胤の『玉襷』の一節と、「語源的に沢女は雨に通ず水神なり」という本居宣長の『古事記伝』の一節の引用が刻まれている[5]。
1446年(文安3年)の『和州五郡神社神名帳大略注解』には 天香山坐櫛真命神社・坂門神社(天岩戸神社)・畝尾坐健土安神社とともに、「天香山坐四處神社」と称している[6]。
延喜式内社の畝尾都多本神社と比定され、同じく式内社の畝尾坐健土安神社が隣接して鎮座。奈良時代の正税を収納管理する役所「香山正倉」の遺構が周辺から発掘されている。
明治時代に社殿が再建された。
2015年4月24日、日本遺産構成文化財に認定。
名前の由来
畝は、うねうねしているところ。尾は、鳥獣のように山が裾が長く引いているところ。畝尾は、山の裾のことをいう。この事から、香久山の麓にある畝尾ということになる。


