畸人十篇
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成立・影響
1608年(万暦36年)初刻[2]。リッチの長年の対話録として作られた[18][7]。リッチの『報告書』では『パラドックス集』(イタリア語: Paradossi)と呼ばれ、本書の影響で改宗した中国人もいたと報告されている[19]。
度々重刻され、『天学初函』にも収録された[15]。『四庫提要』には存目として載っている[20]。 典礼論争による禁教を挟んで、清末の1847年(道光27年)に再び重刻された[21]。
李氏朝鮮でも読まれた[22]。日本では、キリシタンの禁書に指定されながらも荻生徂徠や水野軍記に読まれた[23][24]。
平田篤胤は『畸人十篇』や『天主実義』、アレーニ『三山論学記』、パントーハ『七克』などを読み、1806年(文化3年)これらを神道的に翻案した『本教外篇』を著した[3][25][26]。