Wikiwand AI

畸人十篇

From Wikipedia, the free encyclopedia

『畸人十篇』清末1847年の刊本

『畸人十篇』(きじんじっぺん、きじんじゅっぺん、拼音: Jī rén shí piān)は、明代中国のイエズス会宣教師、マテオ・リッチ(利瑪竇)の著作。『天主実義』の姉妹編的な著作[1]。1608年(万暦36年)初刻[2]。

平田篤胤に影響を与えたことで知られる[3][4]。

「畸人」(奇人)すなわちマテオ・リッチと[5]、士大夫各人(徐光啓・李之藻・李戴(中国語版)ら)との対話形式で[6][7]、西洋の死生観や来世について論じる[8][9]。全2巻10篇[10]。

「畸人」という語は『荘子』大宗師篇に由来する[11]。「奇妙な外国人」[12]と同時に「『荘子』のように死生観を語る人」を含意する[11]。

聖書・アウグスティヌス・中国古典・イソップ寓話(狐と獅子など)を引用している[13]。『天主実義』と重複する内容もある[14]。

序跋が李之藻・周炳謨(中国語版)・王家植(中国語版)らに著されている[15]。本書の附録に『西琴曲意』がある[16][17]。

成立・影響

1608年(万暦36年)初刻[2]。リッチの長年の対話録として作られた[18][7]。リッチの『報告書』では『パラドックス集』(イタリア語: Paradossi)と呼ばれ、本書の影響で改宗した中国人もいたと報告されている[19]。

度々重刻され、『天学初函』にも収録された[15]。『四庫提要』には存目として載っている[20]。 典礼論争による禁教を挟んで、清末の1847年(道光27年)に再び重刻された[21]。

李氏朝鮮でも読まれた[22]。日本では、キリシタンの禁書に指定されながらも荻生徂徠や水野軍記に読まれた[23][24]。

平田篤胤は『畸人十篇』や『天主実義』、アレーニ『三山論学記』、パントーハ『七克』などを読み、1806年(文化3年)これらを神道的に翻案した『本教外篇』を著した[3][25][26]。

日本語訳

参考文献

脚注

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks