白河団
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史
白河軍団は、神亀5年(728年)4月11日に新設された[2]。多賀城跡で出土した8世紀の木簡に、白河団が射手44人を進上したことが記される[3]。うち18人は「船守」すなわち船の警備についたようである[4]。
弘仁2年(811年)、あるいはこの年までのいつかに廃止され、陸奥国の軍団は玉造団と名取団のみになった[5]。
しかし弘仁6年(815年)8月には白河団など4団が設置され、陸奥国ではそれより6団6000人が6交代制で常時1000人の兵力を駐屯地に維持することになった[6]。白河団の兵士は、行方団・安積団とともに3軍団で常時500人を多賀城の国府に駐屯させたようである。この時の定員は、標準的な各団1000人であろう。
後に陸奥国には磐城団が増設されて7団7000人となり、承和10年(843年)に1000人を増員して7軍団に割りふった[7]。白河団の増員後の兵力は不明だが、引き続き多賀城の守備にあたった[8]。
10世紀に編まれた延喜式にも陸奥国に7団を置くことが規定されており、軍団の構成は変わらなかったと考えられる[9]。
11世紀前半に書かれた『左経記』長元7年(1035年)12月15日条に、「白河団擬矢八占部宿祢安信」という名が見える。軍団に関する記録として終わりに近いものである[10]。