ネルチンスク条約
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| ネルチンスク条約 | |
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ネルチンスク条約(ラテン語) | |
| 署名 | 1689年9月7日(ロシア暦8月27日、清暦康熙28年7月24日) |
| 署名場所 | ロシア連邦ザバイカリエ地方ネルチンスク |
| 締約国 | 清とロシア・ツァーリ国 |
| 言語 | ラテン語、ロシア語、満洲語 |
| 主な内容 | 満洲(現:中国東北部)での国境を黒竜江(アムール川)・外興安嶺(スタノヴォイ山脈)の線に定める |
ネルチンスク条約(ネルチンスクじょうやく、簡: 尼布楚条约、繁: 尼布楚條約、露: Нерчинский договор)は、1689年に康熙帝時代の清朝とピョートル1世時代(摂政ソフィア・アレクセーエヴナ)のロシア・ツァーリ国との間で結ばれた、両国の境界線などについて定めた条約[1]。
清とヨーロッパ国家との間に結ばれた初めての対等な条約で[1]、その内容は満洲(現:中国東北部)での国境を黒竜江(アムール川)・外興安嶺(スタノヴォイ山脈)の線に定めるというものであった。


17世紀中頃からヴァシーリー・ポヤルコフやエロフェイ・ハバロフなどロシア人の探検隊が黒竜江・アルグン川より南下(後の南下政策)するようになり、黒竜江沿いにはアルバジンの要塞が築かれた。
このため清と朝鮮の連合軍がたびたび「清露国境紛争」と呼ばれている討伐を行った。清は逃亡者の引き渡しをロシアに求め、さらにロシア人の撤退を求めた。しかし、ロシアはこれを拒否した。
清が討伐軍を本格的に動かし始めたため、ロシアの摂政ソフィア・アレクセーエヴナと顧問のヴァシーリー・ゴリツィンはフョードル・ゴロヴィンを特使として派遣し、1689年にネルチンスクで清のソンゴトゥと交渉を開始した。
ロシアは清との交易を望み、清は清・ジュンガル戦争(第一次、1687年 - 1697年)中であったことからモンゴルのジュンガルを孤立させることを望んだため、利害関係が一致し、交渉が成立した。
両国間では言語が異なるため条約の原文はラテン語、ロシア語、満洲語で二部ずつ作成され[2]、清側の通訳兼アドバイザーとして2人のイエズス会員トマス・ペレイラ(Thomas Pereira、徐日昇)およびジャン・フランソワ・ジェルビヨン(Jean-Francois Gerbillon、張誠)が交渉にあたった。清側の満洲語をイエズス会士がラテン語に通訳し、ロシア側のポーランド人通訳がラテン語をロシア語に通訳するという形で交渉が行われた。