盛田剛平

日本のサッカー選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

盛田 剛平(もりた こうへい、1976年7月13日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者、ラーメン店経営者

愛称 ゴウヘイ、モリツァ、ラーメン師範、ラーメン野郎3号
カタカナ モリタ コウヘイ
ラテン文字 MORITA Kohei
国籍 日本の旗 日本
概要 盛田 剛平, 名前 ...
盛田 剛平
名前
愛称 ゴウヘイ、モリツァ、ラーメン師範、ラーメン野郎3号
カタカナ モリタ コウヘイ
ラテン文字 MORITA Kohei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1976-07-13) 1976年7月13日(50歳)
出身地 愛知県名古屋市
身長 189cm
体重 86kg
選手情報
ポジション FW(CF) / DF(CB,LSB)
利き足 左足
ユース
日本の旗 名古屋市立鳴子小学校
1989-1991 日本の旗 名古屋市立日比野中学校
1992-1994 日本の旗 桐蔭学園高校
1995-1998 日本の旗 駒澤大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2001 日本の旗 浦和レッズ 23 (0)
2001 日本の旗 セレッソ大阪 (loan) 6 (0)
2001 日本の旗 川崎フロンターレ (loan) 7 (1)
2002-2004 日本の旗 大宮アルディージャ 63 (6)
2004-2011 日本の旗 サンフレッチェ広島 105 (4)
2012-2016 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府 86 (5)
2017 日本の旗 ザスパクサツ群馬 10 (0)
通算 300 (16)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
閉じる

フォワード(FW)としてプロ入り後、キャリア中期にディフェンダー(DF)に転向、晩年再びFWにコンバートされた経歴を持つ。

来歴

小学校2年次からサッカーを始める。中学時代は愛知県の公立の強豪校である名古屋市立日比野中学校サッカー部に所属、持ち前の高さを活かして主にFWとして活躍。高校は自宅から通えない神奈川県桐蔭学園に進学した。2年先輩に山田卓也加賀見健介、1年先輩に森岡隆三広長優志三上和良、同級生に米山篤志一木太郎、1年後輩に戸田和幸小林慶行内田潤李国秀から指導を受けた。高校1年次には恵まれた体格と左利きから左サイドバックをしていたが、高校2年のときにFWにコンバートされる[1]

高校卒業後、駒澤大学に進学し、2年先輩に山田卓也、1年先輩に三上和良と斉藤雅人、同級生に米山篤志、1年後輩に小林慶行と内田潤、3年後輩に桜井繁小林久晃。1年次から主力として活躍、1995年および1997年の全日本大学サッカー選手権大会優勝に貢献、大学3年次にはユニバーシアード代表、大学ナンバー1ストライカーとして注目された。大学3年次にあるJリーグチームからオファーを受けるも、教員資格取得のため中退せず、4年間通う。その後、地元の名古屋浦和磐田横浜MV川崎清水の6クラブが獲得に動く[1]

1999年、浦和レッズに鳴り物入りで入団した原博実監督によってレギュラーに抜擢されるもなかなか結果を出せなかった。その後2001年セレッソ大阪、同年8月から川崎フロンターレにそれぞれ期限付き移籍するも[2]、FWとして結果が残せずレギュラーに定着しなかった。2002年から大宮アルディージャに移籍、清雲栄純監督の薦めで左サイドのアタッカーにコンバートされ一時はレギュラーを獲得した[1][3]

2004年シーズン途中に、チアゴの怪我により高さのあるFWを必要としていたサンフレッチェ広島期限付き移籍する。一時はレギュラーとして活躍し、翌2005年に広島に完全移籍する。同年、チームは佐藤寿人ガウボンを獲得、前田俊介の台頭により、出場機会が激減しベンチ外の日々が続いた。 同年末、契約時にDFへのコンバートを志願する[注 1]。クラブ側も以前からその構想があったこともあり彼の提案を受け入れ契約延長した。これがハマり、望月一頼に監督が代わってから重用され始め、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督になってからは当初ベンチメンバーであったが、ダリオ・ダバツの負傷により出場機会を得ると信用を得てレギュラーになる。2008年以降槙野智章森脇良太の台頭によりレギュラーから外れているが、高さのある貴重なDFとして重宝された[1][3]

2010年シーズン開幕直前に右第5中足骨基部骨折[4]、手術するも回復せず同年8月に再手術をし、結果キャリア初となる試合出場ゼロに終わる[5]。2011年、槙野の移籍および水本裕貴の負傷離脱に伴い一時はレギュラーに復帰していた[6]。同年末、広島から構想外およびフロント入りを打診されていたが引退せず現役にこだわった[7]

2012年、J2・ヴァンフォーレ甲府に完全移籍した[7]。この年は25試合に出場し、津田琢磨とのコンビで24試合連続無敗記録の達成を支えた。

2013年は先発出場の機会が減少し10試合の出場にとどまり、2013年12月4日に一度はチームから同年限りでの契約満了が発表されたが、同月27日に甲府との再契約が発表された[8]

2014年は純粋なセンターフォワードが少ないチーム事情から、8年ぶりにFWへ再コンバート。3月15日の第3節・新潟戦で自身3年ぶり、FWとしては2004年以来10年ぶりとなる得点を挙げた[9]。以降も1年を通じてFWとしてプレー。29試合に出場し、38歳にしてキャリアハイとなるチーム最多の5得点を挙げた。2015年より、登録ポジションもFWへ変更。2016年11月5日、契約満了に伴い退団した。

2017年1月6日、ザスパクサツ群馬への加入が発表された[10]。2017年で契約満了に伴い退団引退し、浦和レッズハートフルクラブのコーチとなる[11]

人物

プレースタイル

元々は身体能力の高いセンターフォワードとして名を馳せ、2003年ごろは左サイドアタッカー、2006年以降はセンターバック[1]、更に2014年以降は再びセンターフォワードと、プロ入りしてから何度も大きなコンバートを経験している。

DFとして体格を生かしたハイボールの競り合いには圧倒的な強さを誇り、堅実な守備をこなす[3][6]。また足元の技術にも長け、長い脚を活かしたボールキープや左足からの正確なロングフィードも得意とし、CBからの緻密なボールの繋ぎを要求されるペトロヴィッチ監督のサッカーにも早期に順応した。試合をリードしている状況で守備固めに入ることから「クローザー」とも称される[6][12]

盛田をFWからDFへのコンバートに導いた小野剛曰く、「目の前のテーブルにご馳走があったら、盛田は自分よりもまずみんなに食べないかと薦めるタイプ。そしてそれは性格的にDFに向いている[13]」。ミハイロ・ペトロヴィッチはFW時代の盛田のプレーを知らないこともあり、「FWをやっていたとは信じられない。彼は生まれながらのディフェンダーだ」とコメントしている[6]

趣味

ラーメンが大好物であり、全国を旅行してのラーメン食べ歩きを趣味とする。そのためファンの間では「ラーメン師範」の二つ名で呼ばれており、本人も使用することがある[14]

趣味が高じて自身で調理することにも興味を持つようになり、2006年にはJリーグキャリアサポートセンターが実施しているインターンシップ体験において、ラーメン店「谷やんラーメン」(東京都台東区)にてインターンシップを行った。過去にインターンシップで飲食店で働いた選手は多くいるが、厨房に入って調理を行ったのは盛田が初めてだった。

過去に自らが考案・調理したラーメンを発売している。広島では2008年と2010年広島ファン感謝デーで「油そば」を出店。甲府では2014年雑誌連載・地元イベントでのラーメン企画で「汁なし担担麺」の出店を行っている[15]。2016年には甲府の選手として広島の主催試合で油そばをプロデュースした[16]

2017年に所属した群馬ではスポンサーであるおおぎやフーズとのコラボで「おおぎやみそトムヤム味変化(へんげ)」を監修し、ホーム戦5試合の試合開催日限定でスタジアム近隣の前橋下小出店と前橋関根店にて販売された他、12月12日には前橋下小出店の一日店長に就任した[17]。またこのコラボは、盛田も退団時に「おおぎやラーメンコラボ第2弾ができないのが、ほんと悔やまれるところではありますが」とコメントしたが、以降も所属選手から担当を数名抜擢し、販売期間や取扱店舗を拡大しながら行われるようになった[18][19]。2019年には浦和レッズのファンサービスイベント「Reds Festa」で販売された「Health-fulなちょい汁ジャージャー麺」を監修した。

将来的にはラーメン屋を経営することを考えており、現役引退時のコメントでも「ラーメン師範としては現役続行」「いつかラーメン屋で海外進出するのが、僕のセカンドキャリアでの目標」と語っていた[14] が、2022年にさいたま市内の物件を契約し、2023年3月に「盛田軒(もりたラーメン研究所)」をオープンした[20]

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1995駒大---1111
1996---2121
199712---2222
1998---2222
1999浦和15J11900010200
2000J240104696
2001C大阪18J16010-70
川崎9J2710061132
2002大宮12324-31355
2003282-30312
20041430--30
広島19J11412110172
200530301070
20061904220252
20071707050290
2008J2161-10171
2009J12116011282
201000000000
20111511000161
2012甲府J2250-00250
2013J11005000150
20142954030365
20151606120241
201660100070
2017群馬40J2100-10110
通算日本J1 175840416123113
日本J2 12581018814416
日本 --7676
総通算 30016414411538235
閉じる

その他の公式戦

さらに見る 国際大会個人成績, 年度 ...
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2010広島1900
通算AFC 00
閉じる

出場歴・タイトル

クラブチーム
代表歴

注釈

  1. 盛田曰く、「FWとしては限界を感じた。現役を長く続けるためコンバートを決断した。」

出典

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI