森岡隆三

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愛称 モリ
カタカナ モリオカ リュウゾウ
ラテン文字 MORIOKA Ryuzo
国籍 日本の旗 日本
森岡 隆三
名前
愛称 モリ
カタカナ モリオカ リュウゾウ
ラテン文字 MORIOKA Ryuzo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1975-10-07) 1975年10月7日(50歳)
出身地 神奈川県横浜市青葉区
身長 180cm[1]
体重 71kg[1]
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1991-1993 桐蔭学園高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1995 鹿島アントラーズ 1 (0)
1995-2006 清水エスパルス 277 (9)
2007-2008 京都サンガF.C. 29 (1)
通算 307 (10)
代表歴2
1995  日本 U-20 0 (0)
2000  日本 U-23(OA) 3 (0)
1999-2003 日本の旗 日本 38 (0)
監督歴
2015-2016 京都サンガF.C.U-18
2017-2018 ガイナーレ鳥取
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月31日現在。
2. 2003年6月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

森岡 隆三(もりおか りゅうぞう、1975年10月7日 - )は、神奈川県横浜市青葉区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表

一般受験で桐蔭学園高校に入学。中学時代のポジションはMFで無名の存在であったが、高校時代に当時監督の李国秀に見出されDFにコンバート。これがサッカー選手としての成功の礎となった。

1994年に鹿島アントラーズに入団。1995年途中に清水エスパルスにレンタル移籍しそこで頭角を現しそのまま清水へ完全移籍をする。

2005年8月28日大宮アルディージャ戦/熊谷スポーツ文化公園陸上競技場)、試合終了後に競技場内のトイレの壁を蹴って破損、3試合の出場停止処分を受けた。その事件以降レギュラーを剥奪される。

2006年は若手の台頭により出場機会が激減。本人の意向により12月5日に移籍リストに登録されることが発表され、約11年間所属した清水を退団。同月28日に京都サンガF.C.への移籍が発表された。

2007年はキャプテンとしてチームを牽引しJ1昇格に貢献したが、2008年増嶋竜也などにポジションを奪われスタメンから外れるようになった。 8月の時点で契約更新をしない旨が伝えられたが、秋には復調して途中交代ながら出場機会は増えた。一時は現役続行を模索したが、最終戦ひとつ前の大宮戦でチームが残留を決めたことで現役引退を決断した[1][2]

代表経歴

フィリップ・トルシエ体制の日本代表で招集を受けると、井原や秋田や斎藤などフランスワールドカップ組が見切りを付けられた後、井原に代わって背番号4とDFリーダーを託される。フラット3の中心選手としてトルシエからの信頼は厚く、シドニーオリンピックでは宮本や松田など、23歳以下で優秀な選手がいるにもかかわらず、彼らをベンチに置いてまで貴重なオーバーエイジ枠で招集され、3バックの中央を任された。同年のアジアカップ優勝にも貢献。

2002 FIFAワールドカップを前に怪我を負い離脱をするが、トルシエからの信頼は絶大で、大会前の試合をすべて欠場していたにもかかわらず、本大会に合わせて回復すると同時に代表復帰、キャプテンを任され大会に挑んだ。しかしグループリーグ第1戦のベルギー代表戦で相手との接触プレーから負傷し、それ以降出場できなかった。

ジーコ体制下では序盤こそレギュラーを務めるが2003年6月8日キリンカップサッカーアルゼンチン代表戦での4失点以降は名良橋晃、秋田豊、服部年宏らと共に代表から遠ざかることとなった。

現役引退後

現役最後の試合となった最終節は奇しくも彼が11年間所属をした清水戦だった。チームは負けてしまったものの、試合後のセレモニーでは京都の選手・スタッフから花を手渡されたほかに、清水側からも全選手のサイン入りユニフォームが伊東輝悦によって贈られ、号泣する姿に両チームのサポーターから歓声が上がった。セレモニー終了後には京都サポーターおよび清水サポーターの所に行き、清水退団時にすることができなかった最後の挨拶を行なった。

2009年、京都のコーチに就任。2011年にJFA 公認A級コーチジェネラルを取得した[3]2014年は京都のトップチームから離れ、派遣という形で佐川印刷京都のヘッドコーチに就任[4]。2014年12月よりJFA 公認S級コーチのライセンスを取得するため、イタリアで海外研修を受けることとなった[5]

監督時代

2015年、京都のU-18監督に就任し[6] 、2年目の2016年度の第24回Jリーグユース選手権大会で3位に入賞するなどの結果を残した。契約満了により2016年をもって退任した[7]

2017年ガイナーレ鳥取の監督に就任[8]。3月12日、J3開幕戦のガンバ大阪U-23戦ではフラットスリーを組んだ宮本恒靖と監督として対戦して初勝利を飾った。しかし、その後は勝ち点を伸ばせず、この年は4勝9分19敗の17位(リーグ最下位)に終わった。2018年6月、鳥取の監督を解任された[9]

2018年8月、当時東京都社会人サッカーリーグ1部に所属するCriacao Shinjukuのアドバイザーに就任[10]2019年NHK BS1Jリーグテレビ中継解説者。

エピソード

2002 FIFAワールドカップではアゴカルテット(森岡、秋田豊楢﨑正剛曽ヶ端準の4人)として「六月の勝利の歌を忘れない」を盛り上げた。

桐蔭学園高校時代の同級生に廣長優志や元プロ野球選手高橋由伸がいる。

清水では1997年からJリーグが固定背番号制になるに当たり「前年のレギュラーが一番つけていた背番号を優先的に与える」という基準で背番号を与えた。このため前年、たまたま空いていたことから11番をつけることが多くなった森岡の背番号は11となり、その後10年の長きにわたりDFとしては珍しい背番号を背負って清水でプレイした。

1996年以前の変動背番号制が採用されていた清水在籍時には、FWの長谷川健太(9番)がスタメンの時は11番を、元イタリア代表のマッサーロ(11番)がスタメンの時は9番をつけてプレイしたことがある。

ORANGE RANGEと親交があり、自身のホームページに一緒に写っている写真が掲載されている。ただしこの頃のORANGE RANGEはブレイク前であり、現在も親交があるかどうかは定かでない。

猪木信者としても有名で、自身の猪木のモノマネが原因で、離婚危機になったこともある。

仲間内3人で「KHR international」発足、東京原宿にて「グラムス」という衣料ブランドを立ち上げ販売業を営む。 一時期、三宿で洋服屋を経営していた。

また、2010 FIFAワールドカップにおけるNHK-BSのサッカー関連番組において、巻誠一郎とともに解説を務めた。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1994鹿島-J10000010
199500--00
清水251-00251
199623016130421
1997113016030391
19982603050340
1999J12614000301
20002702050340
20013011052363
200231201061
20032534141335
20042906110361
20052316050341
20061001000110
2007京都6J2221-00221
2008J1703000100
通算日本J1 285954332337115
日本J2 221-00221
総通算 3071054332339316

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2002-03清水1130
通算AFC 30

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 38試合 0得点 (1999-2003)
日本代表国際Aマッチ
出場得点
199970
2000140
2001110
200220
200340
通算 380

出場

No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.1999年03月31日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ブラジル●0-2フィリップ・トルシエキリンビバレッジ
2.1999年06月03日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ベルギー△0-0キリンカップ
3.1999年06月06日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ペルー△0-0キリンカップ
4.1999年06月29日パラグアイの旗アスンシオン ペルー●2-3コパ・アメリカ
5.1999年07月02日パラグアイの旗アスンシオン パラグアイ●0-4コパ・アメリカ
6.1999年07月05日パラグアイの旗ペドロ・ファン・カバジェロ ボリビア△1-1コパ・アメリカ
7.1999年09月08日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 イラン△1-1キリンチャレンジ
8.2000年03月15日日本の旗愛知県神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 中華人民共和国△0-0キリンビバレッジ
9.2000年04月26日大韓民国の旗ソウル 韓国●0-1国際親善試合
10.2000年06月04日モロッコの旗カサブランカ フランス△2-2(PK2-4)ハッサン2世杯
11.2000年06月06日モロッコの旗カサブランカ ジャマイカ○4-0ハッサン2世杯
12.2000年06月11日日本の旗宮城県宮城スタジアム スロバキア△1-1キリンカップ
13.2000年06月18日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ボリビア○2-0キリンカップ
14.2000年08月16日日本の旗広島県広島広域公園陸上競技場 アラブ首長国連邦○3-1キリンチャレンジ
15.2000年10月14日レバノンの旗サイダ サウジアラビア○4-1アジアカップ
16.2000年10月17日レバノンの旗サイダ ウズベキスタン○8-1アジアカップ
17.2000年10月20日レバノンの旗ベイルート カタール△1-1アジアカップ
18.2000年10月24日レバノンの旗ベイルート イラク○4-1アジアカップ
19.2000年10月26日レバノンの旗ベイルート 中華人民共和国○3-2アジアカップ
20.2000年10月29日レバノンの旗ベイルート サウジアラビア○1-0アジアカップ
21.2000年12月20日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 韓国△1-1キリンビバレッジ
22.2001年03月24日フランスの旗サンドニ フランス●0-5国際親善試合
23.2001年04月25日スペインの旗コルドバ スペイン●0-1国際親善試合
24.2001年05月31日日本の旗新潟県新潟スタジアム カナダ○3-0コンフェデレーションカップ
25.2001年06月02日日本の旗新潟県新潟スタジアム カメルーン○2-0コンフェデレーションカップ
26.2001年06月07日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 オーストラリア○1-0コンフェデレーションカップ
27.2001年06月10日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 フランス●0-1コンフェデレーションカップ
28.2001年07月01日日本の旗北海道札幌ドーム パラグアイ○2-0キリンカップ
29.2001年07月04日日本の旗大分県大分スポーツ公園総合競技場 ユーゴスラビア○1-0キリンカップ
30.2001年08月15日日本の旗静岡県静岡県小笠山総合運動公園スタジアム オーストラリア○3-0AFC/OFCチャレンジカップ
31.2001年10月04日フランスの旗ランス セネガル●0-2国際親善試合
32.2001年11月07日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 イタリア△1-1キリンチャレンジカップ
33.2002年05月25日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 スウェーデン△1-1キリンチャレンジカップ
34.2002年06月04日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 ベルギー△2-2ワールドカップ
35.2003年03月28日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ウルグアイ△2-2ジーコ国際親善試合
36.2003年04月16日大韓民国の旗ソウル 韓国○1-0国際親善試合
37.2003年05月31日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 韓国●0-1国際親善試合
38.2003年06月08日日本の旗大阪府長居陸上競技場 アルゼンチン●1-4キリンカップ

個人タイトル

指導歴

監督成績

年度所属クラブリーグ戦カップ戦備考
順位勝点試合Jリーグカップ天皇杯
2017J3鳥取17位21324919-1回戦敗退
20187位1812534-1回戦勝利解任(12節)時点の成績
J3通算--4491223---
総通算--4491223---

脚注

関連項目

外部リンク

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