米山篤志
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| 名前 | ||||||
| カタカナ | ヨネヤマ アツシ | |||||
| ラテン文字 | YONEYAMA Atsushi | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1976年11月20日(49歳) | |||||
| 出身地 | 栃木県宇都宮市[1] | |||||
| 身長 | 180cm | |||||
| 体重 | 74kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
| 1992-1994 |
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| 1995-1997 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1998-2005 |
| 198 | (10) | |||
| 2006 |
| 7 | (0) | |||
| 2007-2008 |
| 39 | (1) | |||
| 2009-2010 |
| 54 | (0) | |||
| 通算 | 298 | (11) | ||||
| 代表歴2 | ||||||
| 2000 |
| 1 | (0) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2012-2014 |
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| 2023-2025 |
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| 2026- |
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1. 国内リーグ戦に限る。2010年12月15日現在。 2. 2000年2月16日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
米山 篤志(よねやま あつし、1976年11月20日 - ) は、栃木県宇都宮市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。元日本代表。
桐蔭学園高校時代、スランプに陥った時期に李国秀の勧めでミッドフィールダーからディフェンダーへと転向した[2]。
駒澤大学では2度の全日本大学選手権優勝やユニバーシアード日本代表選出などの実績を残し、在学中の1998年にヴェルディ川崎に入団。同年2ndステージにはレギュラーポジションを獲得した。2000年にはフェアプレー個人賞を獲得した[3]。
トルシエ監督時代には日本代表にも選出され、2000年2月26日のAFCアジアカップ2000 (予選) のブルネイ戦で国際Aマッチのキャップを記録した[4]。 以後も主力として東京Vのレギュラーを務めていたが、2005年に東京VのJ2降格が決定するとクラブの方針から戦力外通告を受けた。この時、米山と林健太郎が早々に戦力外通告を受けた事は、高校・大学とプロ入り前からチームメイトだった山田卓也やクラブ後輩の小林大悟が東京Vを去る決断をする要因となった。
2005年10月8日、1999年度ミス日本ミス水着に選ばれた小谷亜希子と入籍。
2006年は川崎フロンターレに移籍。第6節のジェフユナイテッド千葉戦に途中出場し、J1リーグ通算200試合出場を達成した。シーズン終了後には「川崎は来期に向けての契約非継続選手はゼロ」との報道もされていたが、2007年1月にJリーグ合同トライアウトに米山が参加していたことから、実際には戦力外通告を受けていた事が明らかになった。2007Jリーグ開幕直前に名古屋グランパスエイトの練習に参加し、正式に入団が決定した。2008年11月末にシーズン限りでの退団が明らかになったが、その直後のホーム最終戦・対札幌の試合終了直前に「無回転ボール」での強烈な直接フリーキックをゴールを決めた。
2009年、この年からJ2に昇格した故郷のクラブ・栃木SCに完全移籍。2010年は佐藤悠介とダブルボランチを組み、4連勝を含む11戦負け無しとチームの好調を支えたが、終盤は出場機会が減り、2010年シーズンを持って契約満了となり退団した。
2011年は、FCタンパベイ(アメリカ)や、深圳(中国)、愛媛FC、さらにはオーストラリア、ベトナムと、各国でプレーできるクラブを模索するも契約に至らず[5]、11月8日に現役引退を発表した[6]。
2012年より、ファンルーツアカデミーコーチングスタッフ、東京23FC監督に就任[7]。これと平行して中日スポーツ紙上でのサッカー評論も行う。
2014年10月、東京23FCの監督を解任された[8]
2017年シーズンから川崎Fのトップチームコーチに就任。同年4月にJFA 公認S級コーチライセンスを取得。
2020年シーズンからFC町田ゼルビアトップチームコーチに就任。
2022年11月22日、カマタマーレ讃岐トップチーム監督に就任すると発表された[1]。
2025年シーズンは前半戦終了時点で最下位に低迷し、7月6日付けで解任された[10]。
所属クラブ
- 緑ヶ丘YFC
- 宇都宮市立陽光小学校[1]
- 宇都宮市立陽南中学校[1]
- 1992年 - 1994年 桐蔭学園高等学校
- 1995年 - 1997年 駒澤大学
- 1998年 - 2005年 ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ1969
- 2006年 川崎フロンターレ
- 2007年 - 2008年 名古屋グランパスエイト
- 2009年 - 2010年 栃木SC
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1998 | V川崎/ 東京V | 23 | J | 15 | 0 | 2 | 1 | 3 | 0 | 20 | 1 |
| 1999 | 5 | J1 | 29 | 2 | 4 | 0 | 4 | 1 | 37 | 3 | |
| 2000 | 30 | 1 | 6 | 0 | 2 | 0 | 38 | 1 | |||
| 2001 | 21 | 1 | 2 | 0 | 3 | 1 | 26 | 2 | |||
| 2002 | 23 | 28 | 2 | 6 | 0 | 1 | 0 | 35 | 2 | ||
| 2003 | 23 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 28 | 0 | |||
| 2004 | 5 | 29 | 3 | 8 | 1 | 5 | 1 | 42 | 5 | ||
| 2005 | 23 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 25 | 1 | |||
| 2006 | 川崎 | 8 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | |
| 2007 | 名古屋 | 5 | 21 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 24 | 0 | |
| 2008 | 18 | 1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 25 | 1 | |||
| 2009 | 栃木 | 23 | J2 | 37 | 0 | - | 1 | 0 | 38 | 0 | |
| 2010 | 17 | 0 | - | 0 | 0 | 17 | 0 | ||||
| 通算 | 日本 | J1 | 244 | 11 | 42 | 2 | 22 | 3 | 308 | 16 | |
| 日本 | J2 | 54 | 0 | - | 1 | 0 | 55 | 0 | |||
| 総通算 | 298 | 11 | 42 | 2 | 23 | 3 | 363 | 16 | |||
代表歴
指導歴
監督成績
タイトル
クラブ
- 駒澤大学
- 全日本大学サッカー選手権大会:2回(1995年、1997年)
- 東京ヴェルディ1969
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:1回(2004年)
個人
- 2000年 Jリーグフェアプレー個人賞
出演
ラジオ
- SC_FM『ヨネラジ』(RADIO BERRY 2010年8月3日-2011年1月25日終了、火曜日20:55-21:00)