盧順密

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盧 順密(ろ じゅんみつ、生年不詳 - 937年)は、五代十国時代軍人本貫鄆州中都県

はじめ後梁の将の戴思遠に仕えて歩校となった。戴思遠が天平軍節度使となり、兵を率いて徳勝口に駐屯させると、順密は鄆州留守をまもった。順密は晋軍が日増しに強力になるのを見て、逃亡して晋王李存勗に帰順した。鄆州の州城が空っぽであるといって、襲って取るよう勧めた。李存勗は李嗣源を派遣して鄆州に兵を進めると、順密の言うとおり攻め落とすことができた。順密は李存勗の幕下に列し、軍校に累進した。後唐の明宗(李嗣源)のとき、順密は数州の刺史を歴任した[1]

後晋天福2年(937年)6月、范延光興唐府に拠って反乱を起こすと、順密は高祖石敬瑭の命を受けてその討伐に参加した。白奉進は騎兵3000を率い滑州に駐屯した。7月、白奉進は義成軍節度使の符彦饒の麾下の軍士に殺害された。順密は兵を率いて牙城を攻め、符彦饒を楼上で捕らえて、方太開封府へ押送させた。順密は涇州節度留後となり、赴任してほどなく死去した。右驍衛上将軍の位を追贈された[2]

脚注

伝記資料

参考文献

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