真矛盾主義
From Wikipedia, the free encyclopedia
真矛盾主義と他の哲学にみられる先行、類似概念
アリストテレス以来の西洋哲学においては少数の例外(ヘーゲル等)を除いて、 矛盾は必ず偽である(これを「矛盾律」ないし「無矛盾律」と呼ぶ)と考えられてきた [2]。 しかし、真矛盾主義者は、矛盾律の正当化は失敗しており[3]、しかも嘘つき文など実際に真でも偽でもある矛盾した文が存在すると主張している[4]。 真なる矛盾はdialetheiaと呼ばれる。これはグラーム・プリーストとリチャード・ローティによる 造語であり、ギリシャ語で真なる矛盾の二面性を表す[5]。 dialetheiaが存在すると考える立場がdialetheismである。 なお「真矛盾主義」との翻訳はプリーストと相談の上、哲学者の出口康夫が作った[6]。
ジャイナ教の哲学説であるアネーカーンタヴァーダは、あらゆる言明はある意味では真であり、別の意味では偽であると述べている[7]。これを、真矛盾は存在するだけでなく、いたるところに遍在していると解釈する者もいるが、しかし厳密に言えば、「論理的矛盾」とは「同じ」意味において真かつ偽である命題のことである。ある意味で真であり、別の意味で偽である命題は、論理的矛盾を構成しない。(例えば、ある人物が「父親」であり、かつ「独身」であることは、ある意味では両立し得ないが(養子縁組や後からの独身誓願などのケースを除けば)、その人物が「精神的な」父親であり、かつ独身であることには何の矛盾もない。この場合、「父親」という言葉の意味が異なっている。別の例を挙げれば、ジョージ・W・ブッシュは同時期に、大統領でありかつ大統領でないことは、あり得ないが、彼は2001年から2009年までは大統領であり、2001年以前や2009年以降は大統領ではなかった。つまり、異なる時間においては、彼は大統領であり、かつ大統領でないという両方の状態にあったことになる)。
四句分別(Catuṣkoṭi)と呼ばれる仏教/インド論理学の論理体系も同様に、ある言明とその否定が共存し得ることを示している[8][9]。
グレアム・プリーストは著書『Beyond the Limits of Thought』[10]の中で、形式意味論以外の多くの哲学的文脈において、表現可能性の境界で真矛盾が生じると主張している。