磯野恭子
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山口放送入社
広島県高田村(現・江田島市)出身[2]。地元の高田小学校に登校する途中、原爆投下のキノコ雲を能美島で目撃した[3]。
12歳で能美島を離れ、広島県立第一高等女学校に通う[4]。第一高女はのちに男女共学の県立皆実高等学校となり、恭子もそのまま皆実高に進んだ[4]。皆実高の同級生に亀井郁夫(政治家)がいて、晩年まで交流があった[5]。東京大学を目指したが、受験に失敗し、単身上京。予備校に通い、アルバイトをしながら浪人生活を送ったものの、心身ともに疲れ果て、1年で広島に戻り、広島大学政経学部の夜間部に入学する[6][7]。
1959年に山口放送入社。「ジャーナリズムをやりたくて放送局に入ったが、当時は女性はアナウンサーになるしかなかった」との理由でアナウンサーとしてキャリアを始める[8][9]。1962年に自らの希望で制作部に異動してラジオ番組を制作し、その後テレビ番組のディレクターに転じ[8]、『NNNドキュメント』枠を通じて第二次世界大戦をテーマとする数多くのドキュメンタリー番組を制作した。テレビ報道論に詳しいジャーナリストの水島宏明が「この枠(NNNドキュメント)で活躍した制作者は数多いが、歴代最高のディレクターを一人挙げよと問われたなら、私は迷いなく、山口放送の磯野恭子と答える」と評する[8]ように、制作したドキュメンタリーの中には文化庁芸術祭やギャラクシー賞などで受賞した作品も多い。制作した番組の多くは、横浜市にある放送ライブラリーで視聴できる[10]。また、山口放送に在職中の1994年には、NHKで『テレビドキュメンタリー 磯野恭子の世界』と題する磯野を特集する番組が5回に渡って放送された[11]。
テレビ制作部長を経て、1988年に取締役テレビ制作局長に選任され、民放初の女性役員となった[2]。常務取締役まで昇進し、2001年に退職[8]。2004年から6年間、岩国市の教育長を務めた[12]。1989年にリクルート事件で竹下内閣が総辞職し、土井たか子率いる日本社会党が"マドンナ旋風"を巻き起こす直前に、社会党候補として、参院選への立候補を打診するオファーがあった。しかし、弟・暠の金銭問題がクローズアップされることを嫌って断念している[13]。
個人としては、1980年には1979年度日本女性放送者懇談会賞を、1982年には国際ソロプチミスト婦人援助賞を受賞した。また、2000年には紫綬褒章を受章した[8]。
親族
制作した番組
- 『ある執念 ~開くか再審の道~』 (1976年、民放連賞優秀賞)[8]
- 『聞こえるよ母さんの声が・・・ ~原爆の子・百合子~』(1979年、文化庁芸術祭テレビドキュメンタリーの部大賞)、ベルリン未来賞受賞)[2][16]
- 『山口のヒロシマ』(1980年、文化庁芸術祭テレビドキュメンタリーの部優秀賞)[8][16]
- 『限りある命のために ~カネミ油症患者の16年~』(1984年、「地方の時代」映像祭特別賞、ギャラクシー賞、放送文化基金賞本賞)[8][17]
- 『死者たちの遺言 ~回天に散った学徒兵の軌跡』(1984年、文化庁芸術祭テレビドキュメンタリーの部優秀賞)[8][16]
- 『戦後40年シリーズ ドキュメンタリー 写真の中の日本人』(1985年、民放連賞優秀賞)[8]
- 『チチの国ハハの国 ~ある韓国人女性の帰国~』(1986年、民放連賞最優秀賞)[8]
- 『きりぎりすの山登り 童謡詩人・金子みすゞ』(1986年)[10]
- 『生きて生きて19年 ~カネミ油症事件~』(1987年、「地方の時代」映像祭特別賞)[8]
- 『祖国へのはるかな旅 ~ある中国残留婦人の帰国~』(1987年、文化庁芸術祭テレビドキュメンタリーの部作品賞)[8][18]
- 『いま松花江に生きる ~中国残留婦人~』(1987年、民放連賞優秀賞)[8]
- 『海鳴りのうた ~朝鮮半島から来た炭鉱夫たち~』(1991年、民放連賞優秀賞)[8]
- 『大地は知っている ~中国へ残された婦人たち~』(1992年、文化庁芸術祭テレビドキュメンタリーの部作品賞)[8][18]
- 『モモイロペリカン・カッタ君の春 幼稚園児との6年の記録』(1994年)[10]
- 『帰らなかった日本兵 インドネシア残留兵はいま』(1996年)[10]
- 『海峡の町のミュージカル』(1996年)[10]
- 『NNNドキュメント'96 原爆の子 百合子50歳』(1996年)[10]
- 『永住帰国 中国残留婦人の半世紀』(1997年)[10]
- 『NNNドキュメント'00 私をみつめて ~介助犬ブラッドと生きる~』(2000年)[10]
- 『私の故郷 山口県三隅町 ~若者たちが描く 画家香月泰男の地球~』(2001年)[10]