福博会

福岡県福岡市に本拠を置く指定暴力団 From Wikipedia, the free encyclopedia

福博会(ふくはくかい[4])は、福岡県福岡市博多区に本部を置く指定暴力団

設立者1985年:福博睦会
1990年:福博連合
1992年:福博会
本部〒812-0044
日本の旗 日本福岡県福岡市博多区千代5-18-15[1]
首領光田 孝[2]
活動範囲2県[1]
概要 設立者, 本部 ...
五代目福博ふくはく
福博会の代紋
設立者1985年:福博睦会
1990年:福博連合
1992年:福博会
本部〒812-0044
日本の旗 日本福岡県福岡市博多区千代5-18-15[1]
北緯33度36分31秒 東経130度24分42.6秒
首領光田 孝[2]
活動範囲2県[1]
構成員数
(推定)
約100人(2025年末)[3]
┗構成員 約60人
┗準構成員等 約50人
閉じる

2025年末の時点での勢力は約100人(構成員:約60人、準構成員等:約50人)[3]。その内、福岡県内で活動している勢力は約80人(構成員:約50人、準構成員等:約40人)である[3][5]ただし、あえて登録しない者や警察が把握できていない構成員等がいるため、実際は統計上の数字の数倍に上るとの見方もあることに留意する[6]

概要

総本部遠景
(先方の煉瓦状外装の建築物)、
九州大学馬出キャンパス・
先端医療イノベーションセンター
方向から望む
総本部近景
(手前は九州大学病院施設)

梅津会会長・梅津高則や四代目山口組伊豆組組長・伊豆健児の提言により、地元団体(梅津会、羽衣会、太田会、強友会、太住会、平野組、中丸会、永尾一家)の親睦組織・福博睦会として発足。

後に、二代目梅津会会長・梅津 明を会長として盃直しを行い「福博会」として統合。 福博睦会時代には山口組伊豆組長を顧問に迎え、福博会初代会長となった梅津は五代目山口組組長渡辺芳則から代紋違いの舎弟盃を受け、渡辺五代目が歴代会長の後見人を務めており、山口組の親戚団体でもある。

梅津初代の死後、二代目会長選出に際して内部で意見がまとまらず、梅津会、太田会、強友会が一時脱退したことがある。二代目会長・和田将志郎が日航ホテルで福博会構成員に銃撃される事件も起きている。

2000年2月、福岡県公安委員会から指定暴力団に指定された。

本部事務所は九州大学馬出キャンパスに外壁を隔てて隣接しており、煉瓦タイル張り外装の4階建ての建築物であった[7]

2025年11月27日[8]、福博会は、金四代目会長を含む幹部ら8人が共同で所有[8]していた福岡市博多区千代にある鉄筋コンクリート4階建ての本部事務所(築40年[9])と土地(およそ600平方メートル[9])を福岡市内の2つの企業に売却した[10]。この本部事務所は、歴代会長の住居も兼ねていた[10]。2026年1月、四代目福博会会長は死去した[10][5]。警察は、本部事務所の移転先や後継の代表者の確認などを進めている[10]

略歴

1985年昭和60年)9月[11]、四代目山口組中西一男組長代行)初代伊豆組伊豆健児組長の呼びかけで[11]、福岡県福岡市博多区の暴力団である梅津会、羽衣会、太田会、強友会、太住会、平野組、中丸会、永尾一家、初代伊豆組で、暴力団親睦団体『福博睦会』を結成した[11]

1990年平成2年)7月9日午後8時ごろ、熊本県本渡市下浦町で、熊本二十日会加盟の虎門会森原組組員が、福博睦会太住会組員に射殺された。熊本二十日会が虎門会を抑え、福博睦会が太住会を抑えて、本格的抗争を回避させた[12]

同年8月[11]、福博睦会に参加していた初代伊豆組以外の暴力団(梅津会、羽衣会、太田会、強友会、太住会、平野組、中丸会、永尾一家)は、連合組織『福博連合』を結成し代紋を統一した[13]。初代伊豆組(五代目山口組直参)は不参加だが、顧問に就任[2][11]

同年7月22日午後1時ごろ、福博連合組員約30人は、新幹線新神戸駅に到着し、その後、兵庫県神戸市灘区の山口組本部を訪問した。五代目山口組・渡辺芳則組長ら山口組最高幹部が出迎えた[14]

  • 1992年(平成4年)、福博連合は発展的解消し、二代目梅津会・梅津明会長を初代として『福博会』を結成した[15][11]
  • 1993年(平成5年)6月、初代福博会梅津明会長は、五代目山口組・渡辺芳則組長から盃を受け、代紋違いの舎弟となった[11]
  • 1997年(平成9年)9月、梅津明初代が病気で死亡した。
  • 1998年(平成10年)4月、和田将志郎が、福博会二代目を継承した。後見人は、渡辺芳則五代目[2]
  • 2000年(平成12年)2月10日、福岡県公安委員会指定暴力団に指定。
  • 2005年(平成17年)、六代目山口組組長を継承した司忍が、福博会二代目の後見人を山口組五代目から引き継いだ[2][11]
  • 2006年(平成18年)4月18日、二代目福博会会長代行・長岡寅夫が福博会三代目を継承した。後見人は、六代目山口組・髙山清司若頭[2][11]
  • 2020年令和2年)6月5日、三代目・長岡寅夫(81[16])が高齢の為に引退、三代目福博会理事長・金城國泰が四代目を継承した[17]。後見人は、六代目山口組・髙山清司若頭[2]
  • 2026年(令和8年)1月21日、金国泰四代目会長が死去したことが福岡県警幹部への取材でわかったと報じられた[5]。66歳没[5]。翌22日、福岡市内で通夜が営まれ、六代目山口組九州ブロック勢である二代目伊豆組青山千尋組長(六代目山口組最高顧問)、四代目石井一家生野靖道総長(六代目山口組若頭補佐 九州ブロック長)らが駆け付けた[18]。六代目山口組竹内照明若頭も滋賀・米原周辺で大雪に見舞われながらも通夜が始まる前に駆け付けた[18]。六代目山口組一行が退出後、東声会早野泰会長、八代目会津小鉄高山誠賢会長、九代目住吉会最高幹部ら、五代目共政会荒瀬進会長、八代目合田一家新井鐘吉総長、二代目親和会吉良博文会長[19]、六代目稲川会最高幹部ら、19時以降に五代目工藤會、五代目道仁会太州会、三代目熊本會から弔問に訪れたという[18]。四代目は、2025年末に転倒して頸椎を痛めて入院し[20]、年明け後[20]肺炎を併発[20]、容態が急変し[18]、21日午前4時ごろに病院で息を引き取った[20]
  • 2026年(令和8年)4月9日、下関市(八代目合田一家本部)で、五代目福博会の代目継承盃儀式が行われ、光田孝(四代目福博会舎弟頭[21])が五代目を継承した[2][22]。後見人を六代目山口組竹内照明若頭、推薦人を八代目合田一家新井鐘吉総長、取持人を二代目伊豆組青山千尋組長(六代目山口組舎弟頭)[11]、検分役を四代目石井一家生野靖道総長(六代目山口組若頭補佐 九州ブロック長)[11]、媒酌人を八代目合田一家阪本絋本部長、見届け人と立会人を福博会と八代目合田一家最高幹部が務めた[22]

福博会 歴代会長

  • 初代:梅津 明(1992年 - 1997年9月)(二代目梅津会会長)1997年9月、死去。
  • 二代目:和田将志郎(本名 和田 万亀男[23])(1998年4月 - 2006年)(初代太住会会長)
  • 三代目:長岡寅夫(本名 金 寅純[24])(2006年 - 2020年)(二代目羽衣会会長)
  • 四代目:金城國泰(本名 きん 国泰くにやす[10])(2020年 - 2026年)(三代目双葉会会長)2026年1月21日、死去。66歳没。
  • 五代目:光田 孝[2](2026年 - )(四代目福博会舎弟頭[21]、三宅一家総長)

五代目福博会 最高幹部

  • 会長 - 光田 孝
  • 会長代行 - 坂元常雄(五代目梅津会会長)
  • 最高顧問 - 武井三郎
  • 理事長 - 藤 雅弘(五代目平野組)
  • 統括委員長 - 伊崎将之(四代目強友会)
  • 総本部長 - 岸本重一(四代目永尾一家)
  • 組織委員長 - 牛尾 敏(五代目太住会)
  • 懲罰委員長 - 白石正長(羽衣会会長)
  • 会長秘書長 - 比嘉大輔(五代目梅津会理事長)
  • 風紀委員長 - 山﨑伸二(五代目三宅一家総長)
  • 事務局長 - 荒木 博(五代目平野組若頭)
  • 慶弔委員長 - 森永公彦(四代目双葉会会長)

梅津会

  • 梅津会は、指定暴力団・福博会の二次団体。福岡市博多区に本拠を置く日本暴力団

歴代会長

  • 初代:梅津高則
  • 二代目:梅津 明(初代福博会会長)
  • 三代目:松本哲夫
  • 四代目:武井三郎

平野組

  • 平野組は、指定暴力団・福博会の2次団体。福岡市早良区に本拠を置く日本の暴力団。

太田会

  • 太田会は、指定暴力団・福博会の2次団体。福岡市博多区に本拠を置く日本の暴力団。

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI