福田 (阿見町)
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河川
歴史
鎌倉時代には常陸国信太荘に福田郷があり、元徳元年(1329年)11月の地頭代官良円が提出した結解状に「常陸国信太上条内五ヶ郷大村・吉原〈惣領分〉、福田・竹岡・荒川〈庶子分〉京進絹代、正中二、嘉暦元、二、三以上四ヶ年結解事」とある[3]。文禄年間の太閤検地を機に信太郡に属し信太郡福田村となった[3]。慶長11年(1606年)より江戸時代を通じて陸奥仙台藩の知行となった[3]。天明8年から牛久宿の加助郷差村となった[3]。助郷高は179石[3]。村高は慶長年間の「常州知行目録」・「元禄郷帳」で397石余、「天保郷帳」・「旧高旧領取調帳」では457石余[3]。福田村は明治4年(1871年)には廃藩置県により土浦県、同年の府県統合で新治県に、1875年(明治8年)より茨城県に所属、1889年(明治22年)の町村制施行により小池村・上長村・実穀村・吉原村・荒川沖村・荒川本郷村・沖新田と合併し朝日村の大字となった[3]。1955年(昭和30年)、町村合併により阿見町の大字となる[3]。1957年(昭和32年)には一部(向原開拓)を牛久町に編入、翌1958年には再び一部を牛久町に編入した[3]。
地名の由来
沿革
交通
鉄道
地内に鉄道は通っていない。
バス
地内にバス停留所「福田」があり、そこを始発・終着とするバスが関東鉄道(2001年以前は茨城観光自動車)によって運行されている。 朝7時台に土浦駅を経由して土浦市の合同庁舎まで行くバスが1本、夕方には土浦駅始発のバスが2本運行されているが、現状として地内に住む中学生・高校生のスクールバスとなっており、休校日には運休、または途中の阿見中央公民館発着となり、福田までは乗り入れない[5]。 阿見小学校に通う児童のために、町によってスクールバスが運行されている[6]。
道路
- 首都圏中央連絡自動車道(圏央道) - 北端を通る。インターチェンジは設置されていない。最寄りのインターチェンジは牛久阿見または阿見東。