秋山重雄

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1946-05-05) 1946年5月5日(79歳)
身長
体重
179 cm
73 kg
秋山 重雄
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県倉敷市
生年月日 (1946-05-05) 1946年5月5日(79歳)
身長
体重
179 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1968年 ドラフト4位
初出場 1969年5月11日
最終出場 1977年4月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

秋山 重雄(あきやま しげお、1946年5月5日 - )は、岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手内野手)・解説者

倉敷工業高校では2年次の1963年二塁手・3番打者として夏の甲子園県予選決勝に進出するが、岡山東商に敗退。3年次の1964年には春の選抜に出場し[1]、初戦となった2回戦で金沢高に敗れる。同年の春季中国大会では準々決勝で下関商池永正明に抑えられ惜敗。夏も県予選で敗退して甲子園には出場できなかった。高校同期に菱川章(中退)、杉本郁久雄、羽村起夫がいる。

高校卒業後は1965年立教大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、2年次の1966年春季リーグで槌田誠小川亨らと共に7年ぶりの優勝を果たす。リーグ通算66試合出場、248打数66安打、打率.266、4本塁打、23打点、ベストナイン2回(二塁手)。

1968年ドラフト4位で近鉄バファローズに入団。1年目の1969年7月には新人ながら二塁手として先発起用され、同年のジュニアオールスターにも出場する。しかし打撃面で伸び悩み二軍暮らしが長かった。1976年には主に二塁手として18試合に先発出場するなど、内野のユーティリティプレイヤーとして活躍。翌1977年には出場機会が減少し、同年限りで引退。

引退後の一時期は神戸市須磨区板宿で兄が経営するブティックを手伝う傍ら、KBS京都近鉄エキサイトアワー」解説者を務め[2]西本幸雄監督最後の采配となった1981年10月4日阪急戦(日生)の解説も担当した。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1969 近鉄 101081110021001010040.125.222.250.472
1970 1419182310171100010081.167.211.389.599
1971 1100000000000010000----1.000--------
1973 5770100010000000030.143.143.143.286
1974 4210000000000010000.000.500.000.500
1975 1723224510193000010090.227.261.409.670
1976 6174709121101533210201192.171.205.214.420
1977 1110000000000000000.000.000.000.000
通算:8年 11313712716224123484220701433.173.222.268.490

記録

背番号

  • 29 (1969年 - 1977年)

脚注

関連項目

外部リンク

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