早くから馮玉祥の兵営に入隊し、軍歴を重ねていく。1927年(民国16年)5月、馮玉祥が国民革命軍第2集団軍を率いて潼関から出撃した際に、程希賢は鹿鍾麟率いる第18軍で第66師師長に任ぜられた。北伐終了後の翌年秋、軍縮に伴い第26師師長に任ぜられたが、まもなく馮により罷免されている[1]。
1929年(民国18年)3月、第29師師長に任ぜられたが、同年、山東省政府高等顧問に転じる。1931年(民国20年)、北平軍事整理委員会委員に任ぜられた。1936年(民国25年)、天津市保安総隊長兼冀察政務委員会委員(兼外交委員)となる。同年6月時点では、同市政府公安局局長の地位に在った。翌年、日中戦争(抗日戦争)が勃発すると、石友三率いる第181師で副師長に任ぜられている[1]。
後に汪兆銘政権(南京国民政府)に降り、開封綏靖委員会機要組組長、軍事参議院中将参議を歴任する。1945年(民国34年)2月より江蘇省第8区行政督察専員兼江蘇第1区清郷督察専員となった[1][注 2]。
汪兆銘政権崩壊後、程希賢は漢奸として逮捕された。1946年(民国35年)、軍事委員会委員長北平行営主任・李宗仁が主宰する軍事法廷において、他の22人の被告[注 3]と共に審理されたが[3]、程の最終的な判決や動向については不詳である[注 4]。