穂積志
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| 穂積 志 ほづみ もとむ | |
|---|---|
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内閣府地方創生推進室より公表された肖像 | |
| 生年月日 | 1957年4月5日(68歳) |
| 出生地 |
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| 出身校 | 成蹊大学法学部法律学科 |
| 前職 | 秋田県議会議員 |
| 現職 | 秋田市長 |
| 所属政党 | 無所属 |
| 称号 | 法学士(成蹊大学) |
| 親族 | 父・穂積惇(秋田県議会議員) |
| 当選回数 | 4回 |
| 在任期間 | 2009年4月12日[1] - 2025年4月11日[2] |
| 選挙区 | 秋田市選挙区 |
| 当選回数 | 5回 |
| 在任期間 |
1995年 - 2001年 2001年 - 2009年 |
| 元首 | 副議長(2003年6月 - 2005年6月) |
| 当選回数 | 2回 |
| 在任期間 | 1987年 - 1995年 |
穂積 志(ほづみ もとむ、1957年(昭和32年)4月5日[3] - )は、日本の政治家。秋田市長(4期)、秋田県議会議員(4期)、秋田市議会議員(2期)を務めた。
秋田市新屋出身。ターミナルケアの先駆者として秋田県下初のホスピス病棟を設置したことで知られる外旭川病院を運営する、医療法人惇慧会の会長理事で、元県議・秋田赤十字病院元院長である穂積惇(ほづみ まこと)の子息として秋田市に生まれる。
医家の生まれではあるが、医師は志さず、秋田県立秋田南高等学校、成蹊大学法学部法律学科を卒業後、惇慧会の関連法人などの役員を経て、秋田市議会議員、秋田県議会議員を歴任。
2001年、当時の石川錬治郎市長(後に県議)の辞職に伴う秋田市長選挙に出馬のため、県議を辞職するも、佐竹敬久に敗れ落選。同年11月に、自身の辞職と山田靖男県議の死去で秋田市選挙区の欠員が2名となったことに伴って単独で補欠選挙が行われ、当時の山本郡選挙区で落選中で、国替えした高松和夫と共に返り咲き、県議に復帰した。
県議時代は、秋田市選挙区では自由民主党の冨樫博之とともに、上位当選することが多かった。
2009年の秋田市長選出馬のため辞職し、このときに漸く市長の座を射止めた[4]。これにより、数十年ぶりに秋田市生まれの市長が誕生した。
2013年の秋田市長選挙で、元民主党衆議院議員の寺田学らを破り、再選を果たす[5]。2017年の同市長選において無所属新人の元秋田県議丸の内くるみを破り、3回目の当選を果たした[6]。
2021年4月4日投開票の同市長選に公明党の推薦、自民党支部の支持、社民党支部の支持を受けて立候補。元秋田県議会議員の沼谷純、元秋田市議会議員の武内伸文の2候補を破り4選[7]。
2022年1月、J2・ブラウブリッツ秋田の本拠地であるスタジアム整備と外旭川地区のまちづくりを一体化した計画を発表[8]。
2023年2月、佐竹敬久県知事がスタジアムの具体的財源の欠如を指摘する。市民の間でもスタジアム建設の慎重論が広がり、後の選挙の争点になった[8]。
2023年3月、ブラウブリッツ秋田のホーム開幕戦において、「スタジアムをつくらなければ、私は死んでも死にきれない」と発言した[9]。
2024年9月、スタジアム建設候補地を八橋地区に絞り込んでいることを表明。外旭川地区のまちづくり計画については、事業パートナーであるイオンタウンと実現に向けて鋭意取り組んでいると発表[10]。
2025年4月6日、5選を目指した市長選挙で沼谷に破れ落選した[11]。この結果、4期16年の長期政権は幕を下ろし、氏が推進した外旭川案は選挙直後に白紙化された[11]。