突撃隊体力検定章
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当初、突撃隊体力検定章は、1933年11月28日に、当時の突撃隊幕僚長であるエルンスト・レームによって突撃隊内で独自に発行されていた[3]。1935年まで銅章のみ発行されていたが、1935年2月15日のアドルフ・ヒトラーの布告によって検定章が公式に認められた。その後、金・銀・銅の3等級に区分され新たに発行され、軍人、警官や他の党組織の隊員にも授与された[3]。
元来、体力検定章の等級は、それぞれの身体能力の熟練度に基づいて授与されていたが、1936年には、合格点数の加算制に変更された。1937年には、検定章の受章条件が厳しくなり、受章するためには毎年の体力試験に合格する必要があった[3]。

1939年1月19日、ヒトラーの布告により検定章は『突撃隊体力検定章(SA-Sportabzeichen)』から『突撃隊防衛章(SA-Wehrabzeichen)』と改称された[4] 。ヒトラーは、16歳以上のすべての青年層に受章を競うように推奨しており、年配の軍人などにも受章を勧めていた。この体力検定章は、国防軍が軍服に身に着けることを許可した数少ない政治的装飾の1つであった[5]。
1936年12月までに約100万人に授与され、1943年末までに約250万人以上が授与された[6]。
体力試験は、一般体力試験、軍事的教練、農業活動の3部門に分けられていた。また、検定章は一級鉄十字章の下に取り付るように規定されていた[7]。
