竹田道弘

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本名 同じ
生年月日 (1962-02-18) 1962年2月18日(64歳)
出生地 日本の旗 日本新潟県
身長 167 cm
たけだ みちひろ
竹田 道弘
本名 同じ
生年月日 (1962-02-18) 1962年2月18日(64歳)
出生地 日本の旗 日本新潟県
身長 167 cm
職業 アクションディレクター
ジャンル 映画、テレビ、舞台、オリジナルビデオ、ネット配信
活動期間 1977年 - 2023年
配偶者 吉田真弓
主な作品
スーパー戦隊シリーズ
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竹田 道弘(たけだ みちひろ、1962年2月18日[1] - )は、日本アクションコーディネイター、元スタントマンジャパンアクションエンタープライズ(JAE)所属。身長167cm[2]。趣味は読書[3]。特技は体操[3]新潟県出身[1]

1977年、15歳の時に千葉真一に憧れジャパンアクションクラブ(現JAE)に入門(第7期)[4][1][5]。同期には甲斐将馬崎津隆介黒崎輝らがいる[1]

スタントマン時代は主にスーパー戦隊シリーズにて、女性キャラクターのスーツアクターとして活躍[6][4][1]。その後、『超電子バイオマン』のピンクファイブを最後にアクションコーディネーターへ転向[1][5]

巨獣特捜ジャスピオン』特撮班を経て、『光戦隊マスクマン』第6話から山岡淳二の後を受け同番組のアクション監督に就任[6][4][1][5]。以降、『天装戦隊ゴセイジャー』までのスーパー戦隊シリーズの大部分のアクションを演出した[5]。山岡が戦隊に復帰した1995年からの2年間は、彼と入れ替わる形でメタルヒーローシリーズを担当した。

特捜戦隊デカレンジャー』以降は戦隊のメインアクション監督石垣広文が担当したが、ドラマ、バラエティー、映画、そして『仮面ライダーキバ』でメインアクション監督を務めるなど現在も幅広い分野で活躍している。

夫人は、かつてジャパンアクションエンタープライズに所属し『超新星フラッシュマン』のルー / ピンクフラッシュ役を演じた吉田真弓

2023年、事務所を離れた高岩成二との舞台を最後にアクションコーディネーター業を引退、ジャパンアクションエンタープライズのマネージャー業に転身した[7]

人物

JACに応募した際は、親に無断で高校受験を蹴って決めたが返答が来ず、毎日のように入門を懇願する手紙を送り受験資格を得るに至った[1]。しかし試験会場を間違え受験できず、再び毎日のように手紙を送り、入門を認められた[1][5]。そのため試験を受けずに熱意だけで合格した[1][5]

現場に初参加した『ジャッカー電撃隊』第21話の撮影では、クローバーキング役の古賀弘文をはじめスタントマンらが負傷する事故が続き、初日からすごい現場に来てしまったと思ったという[1][5]

『電子戦隊デンジマン』で女性キャラクターを演じた当初は恥ずかしくて嫌だと思っていたが、東映プロデューサーの吉川進に演技が中途半端だと指摘されたことが悔しく、女性の仕草を研究するようになったという[1][5]。『大戦隊ゴーグルファイブ』で変身前を演じた大川めぐみとは、年齢が近く体型も似ていて気があったため、一番ディスカッションを行っていたという[5]

『デンジマン』でマットなしでの飛び降りを成功させたことから、次作『太陽戦隊サンバルカン』では怪人の飛び降りを多く任されるようになった[1]。劇場版では、体型が全く違うにもかかわらず主演の五代高之の吹き替えでヘリコプターからの飛び降りを務めた[1]

『バイオマン』の後、金田治に志願して『宇宙刑事シャイダー』で殺陣を学ぶ。最終回で1日だけ金田の代理を務めた[5]

竹田についてスーツアクターの高岩成二は、勢いやパワフルさがあり、多い日では1日に100カットをこなすこともあったと証言している[8]

超獣戦隊ライブマン』に出演した嶋大輔は、竹田のつける殺陣はスピーディで覚えるのが大変であり、また説明も擬音が多かったため解りづらく、聞き返すと竹田が自ら実演しそれを見て憶えたと述懐している[9]

五星戦隊ダイレンジャー』の出演陣は、竹田のアクションはセンスがあり、リハーサルではさらっとおしゃれな動きをしていたと評している[10]。また、メンバーが吹き替えなしでスタントを行った際は、「田舎のお袋さんにちゃんと顔を見せてあげなさい」と激励したという[10]

ビーファイターカブト』に出演した中里栄臣は、自分たちのことを最優先に考えてくれる愛のある人物であったと語っている[11]。同作品に出演した安達直人も第一印象はサングラス姿で怖かったが、実際には照れ屋であったと証言している[11]

未来戦隊タイムレンジャー』に出演した永井大は、空手経験者であるがゆえにアクションの見せ方との違いに苦しんだが、悔しさからアクション監督の竹田を見返したいという想いを抱いて生身でのスタントにも率先して挑戦し、後年には竹田からケイン・コスギと並んで歴代で一番動けたと評されたことが嬉しかったという[12]

名乗りシーンでは、手元のアップから始める演出を好んでいる[13]。カメラマンのいのくままさおは、テストと本番とでは役者の力の入り方が違ってしまうため、テストで決めた位置から本番ではみ出す分を計算して撮影していたという[13]

作品

脚注

参考文献

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