第12回札幌記念
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1976年5月30日の第43回東京優駿(日本ダービー)は、同競走で単勝4番人気のクライムカイザーが優勝し、単勝1番人気のトウショウボーイは1馬身半差の2着に敗れた[1]。トウショウボーイはその後北海道に戻って短い休養を取った後、札幌記念に出走することを決定し、クライムカイザー陣営もこれを追うような形で参戦を決めた。前走のダービーの1・2着馬が再戦する構図になったことが評判となり、レース当日は札幌競馬場の入場人員記録となる60,549人が詰めかけた[2]。この記録は当競走から半世紀近く経った2025年7月末の時点においても破られていない[注釈 1]。
当日の単勝オッズで1番人気に支持されたのは、TTGの1頭でお馴染みになっていたトウショウボーイだったが、クライムカイザーは3番人気で、2番人気は6月20日の札幌日経賞(ダート1800m)で大差勝ち[3]したグレートセイカンとなった。レースはグレートセイカンが端を切り、スタートで躓いたことで出遅れたトウショウボーイがこれを後方で見る展開になる。トウショウボーイは3コーナーから追い出しにかかり、直線入口付近ではグレートセイカンとトウショウボーイが他馬をかなり離し、優勝争いはほぼこれら2頭に絞られた。トウショウボーイはグレートセイカンを捉えんと追い込むも、クビ差まで迫ったところがゴールだった。
グレートセイカンは前走に続く連勝で、重賞は初勝利。クライムカイザーは3着だったが、2着のトウショウボーイからは8馬身も離されていた[4]。トウショウボーイは、この出遅れと敗戦が主因となって、池上昌弘が主戦騎手から降ろされたと同時に、池上自身も、以後は引退まで12年間の長期低迷期(暗黒時代)に入ってしまうこととなった。