米山剛

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生誕 (1965-03-15) 1965年3月15日(60歳)
身長 174 cm (5 ft 9 in)
体重 73 kg (161 lb)
国籍 日本の旗 日本
米山 剛
Tsuyoshi YONEYAMA
基本情報
生誕 (1965-03-15) 1965年3月15日(60歳)
身長 174 cm (5 ft 9 in)
体重 73 kg (161 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県南足柄市
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米山 剛(よねやま つよし、1965年11月10日 - )は、神奈川県南足柄市出身のプロゴルファー

小田原相洋高時代から注目され、日本大学進学後は1985年の日本学生ほか学生タイトルを総なめにし、1986年には日本オープンでローアマ[1]に輝くなど実績十分で1987年にプロ入り[2]。最初の2年間は低迷したが、1989年に初シードを獲得し、2004年まで確保[2]

1988年には茨城オープン磯崎功内田袈裟彦藤池昇と並んでの6位タイ[3]かながわオープンでは最終日に68をマークして芹澤信雄川俣茂と並んでの2位タイ[4]に入った。

初優勝までは長く[2]、米山のツアー未勝利はプロゴルフ七不思議[5]と言われてきたが、1999年三菱自動車トーナメントでは細川和彦とのデッドヒートで互いに一歩も譲らず、最終日64、トータル16アンダーで、プレーオフに持ち込む[6]。米山と細川はアウトで4バーディ、インで3バーディ、ノーボギーで、一緒にプレーしていた尾崎将司に「お前ら2人は嫌いだ。完全に蹴散らかされた。2人がすごいプレーをした。それだけだ。しかし、あんなに入るものかね・・・」と言わせた[5]。18番ホールでのプレーオフは3ホールで決着がつかず、4ホール目の際にはカップの切り替えを行った後、5ホール目でようやく決着[6]。終始押し気味[5]で、5ホールのプレーオフを制して初勝利を挙げる[2]

全英オープンでは最終日18番でバーディを決め[7]、メジャー初挑戦で15位と大健闘[8]

帰国後の久光製薬KBCオーガスタでは2日目にボギー無しの6バーディ66をマークし[9]、最終日は1打差2位でスタート[10]。9番で一つ落とすも、14番で追いついて逆転し、1打のアドバンテージを握ったまま18番をパーで切り抜ける[11]。最終ホールではボールを曲げて結構なピンチであったが、前年までの米山とは別人のように落ち着いてプレーし、優しくはないパーセービングパットをきっちり沈めて2勝目を挙げる[11]

カシオワールドオープンでは激しい首位争いで65をマークし、66の手嶋多一を振り切って3勝目を挙げ[12]、1999年は賞金も1億円を突破して賞金ランク5位に入った[2]

ツアー優勝はこの年の3勝だけで、キレのいいアイアンショットでたびたび優勝争いに顔を出すも、後一歩で勝利を逃してきた[2]

45歳になって、痛が酷くなり、思い通りに打てなくなったことでスイング改造に着手[13]片山晋呉のコーチであった谷将貴にアドバイスをもらい、7番アイアンのハーフショットをひたすら繰り返すと、腕を高く上げるオーバースイング気味なトップが、フラットでコンパクトな現代的な形へと変貌[13]。谷の「半年間はフルスイング禁止」という言葉をしっかり守り、まるで別人、フルモデルチェンジと言われるほどの、スイング改造に成功[13]

7年ぶりに出場した2013年東建ホームメイトカップでは初日に68をマークし手応えを掴むと[13]2015年からはシニアに転向[14]

日本シニアオープン平石武則を追い詰めたが2位、いわさき白露では陳志忠中華民国)に競り負けたが2位に入って賞金ランク4位に浮上し、2016年全米プロシニアの出場権を得た[14]。 

2017年ファンケルクラシックで史上最多の5人によるプレーオフを制してシニア初勝利を挙げ[13]、続く広島シニアでは2日間14アンダー[15]63のビッグスコアで2週連続の2勝目を挙げた[16]

真夏のファンケルではプレーオフ2ホール目で7mの一番長かったバーディーパットを入れて次に繋ぎ、3日目には30cmにつけたイーグルを奪って劇的なシニア初勝利を挙げる[15]

2018年には海外に出て全米プロシニア、全米シニアオープン全英シニアオープンのメジャー3試合を経験していずれも予選落ちするが、厳しいピン位置など身を持って触れる[15]

国内では日本シニアオープンでプラヤド・マークセンタイ王国)に6打差3位、太平洋クラブシニアではまたもマークセンに1打差2位であったが、日本プロシニアを制してマークセンに一矢報いたと同時に自身初のメジャー制覇を挙げた[15]

日本プロシニアでは最終日に同組の室田淳鈴木亨にしぶとく追い上げられたが、冷静にクラブを振った米山は崩れず、1、2番で連続バーディーを取る素晴らしいスタートダッシュを決め、7、8番ではまたも連続バーディー[15]。折り返した後も12番のパー5では4mの難しいバーディーパットを沈め、鈴木が16、17番と連続バーディーで迫ってきた17番では、米山も6mをねじ込む6つ目のバーディーを決めて譲らず、ついにノーボギーの66となる[15]。最終的には通算21アンダーで2位に4打差をつけ、大会最多アンダーパー記録に並ぶビッグスコアでのメジャー初制覇となった[15]

漫画家の真船一雄とは小中学生時代の同級生である。

主な優勝

脚注

外部リンク

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