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組織論

組織に関する理論 From Wikipedia, the free encyclopedia

組織論(そしきろん)は、社会科学上の組織を研究する学問。組織科学ともいう。

組織論は社会学、政治学、心理学、経営学などによる学際的な研究である。組織運営のあり方に関する論はプラトンの『国家』をはじめ古代からみられたが、現代的な組織論は、20世紀の初期、軍隊や工場のような組織が巨大化するにつれて関心が強まり本格的に研究されるようになった。

マックス・ヴェーバーは合理的な組織にみられる特質を官僚制であると指摘した。近代官僚制は、権限範囲の明確化、組織の階層化、組織の専門化、文書によるコミュニケーションなどを特徴とし、優れた機械のような技術的卓越性があると考えられた。同じころフレデリック・テイラーは、工場労働者を機械の一部のようにとらえて管理する科学的管理法を提唱し、大量生産体制の確立に貢献し労働コストの削減に成功した。

だが科学的管理法のもとで労働者が強いられる単純作業は過酷なものであった。エルトン・メイヨーは1927年からの5年間にホーソン実験と呼ばれる実地調査を行い、労働者の勤労意欲の維持が組織活性化に不可欠であることを明らかにする。この流れを受けたチェスター・バーナードは、組織の成立には、個人の努力を組織目的に寄与する意志「協働意志」と、目的なしに組織は生まれないから「共通の目的」、さらに組織の諸要素を結合する「コミュニケーション」の3つの要素が必要であると論じた。

その後の組織研究では、単一の最適構造を前提にするのではなく、組織と環境の適合関係を問うコンティンジェンシー理論が展開した[1][2]。同理論の意義は、組織レベルの組織-環境関係理論として、動態的構造理論とマクロ的視角からの統合理論の枠組を生みだした点にある[1]。また、日本企業4社の調査では、課業環境と経営組織の適合関係がコンティンジェンシー理論の枠組に概して整合することが示され、同理論の限界や拡張課題も論じられた[2]。

一方、制度理論を背景とする社会学的新制度派組織論では、組織形態を技術的機能だけでなく社会に広く浸透した意識の反映として捉え、クローズドシステム論やオープンシステム論とは異なる観点から、組織フィールド内の制度的同型化を説明しようとした[3]。さらに、組織認識論では、情報処理モデルの「情報」に代えて「意味」を鍵概念に据え、集合的な認識過程から組織現象を把握しようとした[4]。組織学習の研究でも、学習する主体が個人ではなく組織であるとは何かが中心的な問いとされ、組織記憶や組織内エコロジーを含むプロセスとして再構築が試みられた[5]。こうした研究の展開によって、組織論の対象は静態的な構造設計だけでなく、環境との相互作用、制度的正統性、意味づけ、学習過程へと広がった[3][4][5]。

近年の組織論では、組織は外的・内的な混乱や緊張に絶えず直面しており、それを解決するための新しい考え方や行動様式を選択し採用していくことで創造的に進化していると捉えられている。例えば、カイゼンを大きな特徴とする日本企業は、労働者を機械の一部ではなく問題解決者と位置づけ、生産現場におけるボトムアップ型の小集団活動を行うことで行動様式を継続的に革新し、生産性向上を達成している。野中郁次郎はこのような組織のあり方をナレッジマネジメントと呼んでいる。

概要

組織論とは、公式の社会的組織の構造と作動を社会学的に研究する、相互に関連した一連の概念である。それはまた、相互に関連する組織の諸単位が、いかにして互いに結び付き、あるいは結び付かないのかを説明しようとするものでもある。組織論はさらに、個人の行動とは異なりうる個人の集団の行動を理解することにも関わっており、しばしば目標志向的行動に焦点を当てる。組織論は、組織内部および組織間の双方の研究領域を対象とする。

20世紀初頭において、組織の理論は当初は合理的な視座を取っており、その後より多様なものとなった。合理的な組織システムには、目標の特定性と公式化という二つの重要な部分がある。分業とは個々の労働役割の専門化であり、産出と取引の増大と結び付いている。近代化理論(英語版)の論者フランク・ドビン(Frank Dobbin)は、「近代の制度は透明なまでに目的的であり、我々はより高い効率性へと向かう並外れた進展の只中にある」と記した。マックス・ヴェーバー(Max Weber)の官僚制の概念は、世襲されるのではなく獲得される非人格的な地位、規則に支配された意思決定、専門職業性(英語版)、指揮命令系統、明確化された責任、および限定された権限が存在することによって特徴づけられる。コンティンジェンシー理論は、組織は様々な環境的・内的制約の影響を最小化することによって業績を最大化しようと努めねばならないとし[6]、また、この必要多様性(英語版)に対処する能力は、一連の反応メカニズムの発達に依存しうるとする[7]。

ドワイト・ワルドー(英語版)(Dwight Waldo)は1978年に、「組織論は、流行、異質性(英語版)、主張と反論によって特徴づけられる」と記した[8]。組織論は、それぞれの展開が先行する展開の上に注意深く積み重なりそれを拡張していくような、秩序立った観念の進展や統一された知識体系として記述することはできない。むしろ、理論における展開や実践に向けた記述は、組織の理論の目的と用途、それが取り組むべき論点(監督スタイルや組織文化など)、およびそうした理論に含まれるべき概念や変数をめぐって、意見の不一致を示している。組織をその参加者間の一連の論理的関係として捉えようとする提案は、分岐する諸々の組織論の間の理論的関係のうちにも入り込んでおり[9]、そのことがこの分野の学際的性格を説明している[10]。

背景

組織の興隆

1820年には、アメリカ合衆国の人口の約20%が賃金所得に依存していた。その割合は1950年までに90%へと増加した[11]。概して1950年までには、他人のために働くことに依存していない人々は農民と職人だけであった。それ以前の時代には、大半の人々は自ら食料を狩猟し耕作し、自ら生活物資を作り、ほぼ完全に自給自足の状態を保つことによって生き延びることができた[11]。輸送がより効率的になり技術が発達するにつれて、自給自足は経済的に劣った選択肢となった[12]。ローウェルの紡織工場(英語版)に見られるように、生産工程の各段階について様々な機械や工程が開発され、それによって大量生産は個人による生産に代わる、より安価で迅速な選択肢となった。加えて、人口が増加し輸送が改善するにつれて、組織以前のシステムは市場の需要を支えることに苦慮するようになった[12]。こうした状況は、成長する組織の中に職を求める賃金依存的な人口を生み出し、個人および家族による生産からの転換をもたらした。

賃金依存への移行に加えて、工業化がもたらした外部性もまた、組織の興隆にとって絶好の機会を作り出した。汚染、労働災害、過密な都市、失業といった様々な負の影響が、高まる懸念となった。家族や教会といった小集団がかつてのようにこれらの問題を制御しうるのではなく、新たな組織とシステムが必要とされた[11]。これらの組織は、より非人格的で、より疎遠で、より中央集権的であったが、地域性において欠けているものを効率性によって補っていた[11]。

賃金依存および外部性とともに、産業の成長もまた組織の発展において大きな役割を果たした。急速に成長しつつあった市場は労働者を緊急に必要としており、そのため、そうした新たな労働者を導き支える組織構造への必要性が生じた[13]。最初期のニューイングランドの工場のいくつかは、当初は農民の娘たちに依拠していた。のちに経済が変化するにつれて、それらの工場は旧来の農民階層から、そして最終的にはヨーロッパからの移民から労働者を得るようになった。多くのヨーロッパ人がアメリカの産業が約束するものを求めて故郷を離れ、それらの移民の約60%が同国に留まった。彼らは経済における恒久的な労働者階層となり、そのことによって工場は生産を増大させ、以前よりも多くを生産することが可能となった[11]。この大きな成長に伴って、小規模な事業所や企業ではそれまで必要とされなかった組織とリーダーシップへの必要性が生じた。

全体として、アメリカ合衆国において組織が生じた歴史的・社会的文脈は、組織の発展のみならず、その普及と成長をも可能にした。賃金依存、外部性、そして産業の成長はいずれも、個人・家族・小集団による生産と規制から、大規模な組織と構造への変化に寄与した。

理論の展開

時代を経て人々が組織を実践していく中で、多くの研究者は、いずれの組織論が組織に最もよく適合するのかを実験的に検討してきた。組織の理論には、官僚制、合理化(科学的管理法)、そして分業が含まれる。各理論は、適用された際にそれぞれ異なる利点と欠点をもたらす[14]。

古典的視座は、民間部門における産業革命と、公共部門における行政の改善の必要性から生じている。いずれの取り組みも効率性の理論を中心に据えている。古典的な著作は熟成を経て、深く精緻化されてきた[14]。古典的視座の下には少なくとも二つの下位主題がある。すなわち科学的管理法と官僚制理論である。[15]

多くの社会学者と心理学者が、人間関係論学派としても知られる新古典的視座の研究に大きな貢献をなした。人間関係論運動(英語版)は、モラール(士気)やリーダーシップといった主題に集中することを主たる関心事とした運動であった。この視座は1920年代にホーソン実験とともに始まり、それは「組織における人間行動の情緒的および社会心理学的側面」を強調するものであった[16]。「1927年から1932年にかけてのウェスタン・エレクトリック社のホーソン工場」で行われたこの研究は、エルトン・メイヨー(Elton Mayo)とその同僚たちを新古典的視座への最も重要な貢献者たらしめることになる[17]。

1950年代には組織論に対する学術的関心の波が起こったが、一部の見方によれば、この分野はなお揺籃期にあるとされていた。1959年にミシガン州アナーバーで人間行動研究財団(Foundation for Research on Human Behavior)が開催したシンポジウムは、Modern Organization Theoryとして刊行された。この10年間に活躍した著名な組織論研究者の一群には、E・ワイト・バッキ(英語版)(E. Wight Bakke)、クリス・アージリス(英語版)(Chris Argyris)、ジェームズ・G・マーチ(James G. March)、レンシス・リッカート(Rensis Likert)、ヤコブ・マルシャック(Jacob Marschak)、アナトール・ラパポート(Anatol Rapoport)、ウィリアム・フット・ホワイト(William Foote Whyte)がいた[18]。

ヴェーバーの官僚制

官僚制の理論と最も密接に結びついている研究者はマックス・ヴェーバー(Max Weber)である。1922年に刊行された主著『経済と社会(英語版)』において、ヴェーバーはその特徴を記述している。ヴェーバーの理念型の用語法によって特徴づけられる官僚制は、世襲ではなく獲得される地位(ポスト)の存在によって特徴づけられる。意思決定は規則によって統制される。権限ある地位にある者は専門職性を示す。指揮命令系統と、地位によって規定された責任が存在する。権限には限界が定められている。

ヴェーバーは官僚制についての議論を、管轄領域という概念、すなわち特定の規則ないし法の体系によって統治される制度の導入から始めている[19]。管轄領域においては、恒常的な活動が公務として割り当てられる。職務を割り当てる権限は一連の規則によって統制される。職務は有資格者によって継続的に遂行される。これらの要素が、国家の場合には官僚制的な行政機関を、民間部門においては官僚制的な企業を構成する。

ヴェーバーの官僚制を構成する特徴は、さらにいくつか存在する[19]。

  • あらゆる官僚制的構造において、階層的な上下関係の利用を見出すことができる。これは、上位の官職が下位の官職を監督することを意味する。
  • 官僚制においては、個人の財産は行政機関や企業の資金とは分離して管理される。
  • 官僚制の内部で働く人々は、通常、しかるべき専門化された分野において訓練を受けている。
  • 官僚制の官吏は、その労働能力の全てを組織に捧げることが期待される。
  • 官僚制的組織における地位は、特定の一般的規則の体系に従わなければならない。

ヴェーバーは、官僚制において地位ないし官職に就くことは、組織の円滑な運営に必要な特定の職務を引き受けることを意味すると論じた。この考え方は、労働者が制度にではなく特定の支配者に仕えていた歴史上の労働関係とは異なるものである[19]。

官僚制の階層的な性格は、被用者が獲得された社会的地位を示すことを可能にする[19]。官職保持者が任命ではなく選挙によって選ばれる場合、その人物はもはや純粋に官僚制的な存在ではない。彼はその権力を「上から」ではなく「下から」得ているのである。高位の官吏が官吏を選抜する場合、新規採用者の能力よりも上司の利益に関わる理由によって選ばれる可能性が高い。官僚制にとって高度な技能をもつ被用者が必要とされ、かつ世論が意思決定を形づくる場合には、有能な官吏が選抜される可能性が高まる[19]。

ヴェーバーによれば、「終身在職権」が法的に保障されている場合、その官職はいつでも交代させられうる地位よりも威信の低いものと受け止められるようになる。「終身在職権」や「官職への権利」が発達すると、野心的な新規採用者にとってのキャリア機会は減少し、全体としての技術的効率性も保障されにくくなる[19]。官僚制において、官吏には俸給が支払われる。その額は等級に基づいて決定され、その地位の望ましさを示す役割を果たす。また官僚制的な地位は、在職年数に応じて官職保持者に報いる安定したキャリア・トラックの一部としても存在している[19]。

ヴェーバーは、貨幣経済の発達こそが「純粋な官僚制的行政の成立とまではいわないにせよ、その変質なき存続のための通常の前提条件」であると論じる[19]。官僚制は、その維持のために課税ないし私的利潤による持続的な収入を必要とするため、貨幣経済はその存続を確保する最も合理的な方法である。

ヴェーバーは、官僚制における官吏は自らの官職に対する財産権をもっており、上司による搾取の試みは官僚制的原理の放棄を意味すると措定する。彼は、下位の官吏に地位上のインセンティブを与えることが、彼らの自尊心の維持と階層的枠組みへの十全な参加を助けると述べている[19]。ミシェル・クロジエ(英語版)(Michel Crozier)は1964年にヴェーバーの理論を再検討し、階層制は官吏を組織の効率性を損なう利己的な権力闘争へと駆り立てるため、官僚制には欠陥があると結論づけた[20]。

ヴェーバーの官僚制の特徴の要約

ヴェーバーは、官僚制の以下の構成要素を本質的なものとして特定した[21]。

  • あらゆる領域における公的な管轄権は、すでに実施されている規則ないし法によって秩序づけられている。
  • 官職の階層が存在する。すなわち、上位の官職が下位の官職を監督する上位・下位の関係のシステムである。
  • 近代的な官職の管理は、原形のまま保存される文書化された規則に基づいている。
  • 官職の管理には訓練と専門化が必要である。
  • 官職が発達・確立されると、それは個人の労働能力の全てを必要とする。
  • 規則は安定しており、学習可能である。これらの規則についての知識は、官僚制内部における専門的知識とみなしうる(それらは社会の管理を可能にする)。

官僚制が実施されると、それはアカウンタビリティ、責任、統制、そして一貫性をもたらしうる。従業員の採用は、非人格的で平等な仕組みとなる[21]。古典的な視座は効率性を促進するものの、それはしばしば人間的な欲求を無視するものとして批判される。また、人間の過誤や(労働者は一人ひとり異なるため)職務遂行の変動性を考慮に入れることはほとんどない。

スペースシャトル『チャレンジャー』号爆発事故の場合には、NASAの管理者たちが人間の過誤の可能性を見落としていた[22]。(スリーマイル島原子力発電所事故も参照。)[23]

効率性と目的論的議論

ヴェーバーは、官僚制が6つの特定の特徴、すなわち指揮命令の階層(ヒエラルキー)、非人格性、文書化された行動規則、業績に基づく昇進、専門化された分業、そして効率性から成ると考えていた[24]。官僚制はきわめて効率的であるとする、このヴェーバーの官僚制の究極の特徴は論争的であり、決してすべての社会学者に受け入れられているわけではない。官僚制には確かに肯定的な帰結と否定的な帰結の双方があり、官僚制の効率性と非効率性の双方について有力な議論が存在する。

マックス・ヴェーバーの著作は1800年代末から1900年代初頭、1920年の彼の死以前に公刊されたものであるが、その業績は今日でも社会学の領域で参照され続けている。ヴェーバーの官僚制の理論は、官僚制がきわめて効率的であると主張し、さらには官僚制が組織の最も効率的な形態であるとまで主張する[25]。ヴェーバーは、この一世紀で劇的に近代的かつ複雑になった社会が機能し続けることを確保するためには、官僚制が必要であると主張した[26]。さらに彼は、官僚制という構造化された組織がなければ、社会は非効率かつ浪費的に作動するため、われわれの複雑な社会ははるかに悪い状態に置かれることになると主張した[26]。彼は官僚制を、一定の目標に向けて駆動され、それを効率的に遂行しうる組織とみなしていた。加えて、官僚制的な基準のもとで作動する組織の内部では、その成員は厳格な規制と詳細な構造ゆえに、より良い状態に置かれる。官僚制は恣意的で不公正な個人的えこひいきの実行をはるかに困難にするだけでなく、昇進や採用が一般に完全に能力本位で行われることをも意味する[26]。

ヴェーバーは官僚制を、目標に駆動される効率的な組織とみなしていた。しかし彼はその限界もまた認めていた。ヴェーバーは、官僚制システムの内部には制約が存在することを認識していた。まず第一に、彼は官僚制がきわめて少数の、規制されない相当な権力をもつ人々によって支配されていることを指摘した[27]。その帰結が寡頭制であり、そこでは限られた数の官吏が政治的・経済的権力を獲得する[28]。さらにヴェーバーは、官僚制化のいっそうの進展を「逃れられない運命」とみなした。それが他の組織形態よりも優越し、より効率的であると考えられているからである[29]。ヴェーバーの分析は、官僚制が本質的に個人の人間的自由を制限しすぎるという確信へと彼を導いた。彼は人々が官僚制によって過度に統制されるようになることを恐れた[26]。彼の見方では、官僚制に伴う厳格な行政の方法と正統な権威の諸形態は、人間的自由を消去するように作用する。

ヴェーバーは官僚制に関して目的論的議論を提示する傾向にあった。ヴェーバーの官僚制の構想は、官僚制が特定の目標の達成を目指すと措定する限りにおいて、目的論的であるとみなされる。ヴェーバーは、官僚制がその効率性と合理的原理を用いて目標に到達しようとする目標志向的な組織であると主張した[30]。企業の目的論的な分析は、意思決定への関係するすべてのステークホルダーの包摂へとつながる[31]。ヴェーバーの官僚制についての目的論的な見方は、組織におけるすべてのアクターがさまざまな目的ないし目標をもち、それらの目標を達成する最も効率的な方法を見出そうとすると想定するものである[26]。

批判

「ヴェーバーを冷淡で無情であるかのように見せることには、効率的に運営されたナチスの絶滅収容所さえも称賛に値するもののように映りかねないほどの、危険な単純化のおそれがある」[32]。実際には、ヴェーバーは自らの体系において人間的な論理を用いることによって、組織はさまざまな職場における人間の状態の改善を達成しうると考えていた。

ヴェーバーの理論に対するもう一つの批判は、効率性をめぐる議論である。理論上、最高の効率性は労働者を顧慮しない純然たる労働(たとえば、低賃金での長時間労働)によって達成されうるのであり、それゆえ単純化は危険となりうる。効率性に着目した一つの特徴のみを取り上げるならば、ヴェーバーは不健全な労働条件を推奨しているかのように見えるが、実際には彼はまったく逆のことを望んでいた。ヴェーバーにとって官僚制の特質である諸特徴をすべて考慮に入れたうえで、彼は純粋な官僚制を実現することはほとんど不可能であると認識していた。彼の理論には高度に効率的な組織の諸特徴が含まれているが、これらの特徴はあくまで官僚制的組織がいかに作動するかのモデルとして役立つことを意図したものであり、そのモデルが現実に現れる姿は純粋なモデルとは異なることを彼は認めていた。

こうしたことを踏まえると、官僚制がその潜在能力を最大限に発揮して機能するためには、ヴェーバーの理論の諸特徴がすべて完全でなければならない。「この概念を、引き出しのついた事務机あるいはデスクとして考えてみよ。それはあたかも、すべてのものがあるべき場所に収まらなければならないと要求して、こちらに呼びかけてくるかのようである」[32]。引き出しの中の一つの物がきちんと収まらなければ、引き出し全体が乱雑になる。これはまさにヴェーバーの理論にも当てはまることであり、一つの特徴が満たされなければ、残りの特徴も協調して機能することができず、組織はその潜在能力を下回る成果しか上げられなくなる。

労働条件を改善することを意図した特徴の一つが、「組織は階層原理に従う——部下は上司の命令に従うが、異議申し立ての権利をもつ(伝統的支配におけるより拡散的な構造とは対照的である)」という彼の規則であった[33]。言い換えれば、企業やあらゆる種類の労働環境にいるすべての人は、何かに不満があるときに、職を失うことを恐れて意見を口にしないのではなく、異を唱え、あるいは声を上げる機会と権利をもつということである。開かれたコミュニケーションはヴェーバーの官僚制のきわめて重要な部分であり、今日でも実践されている。このコミュニケーションのために、それは最も効率的なものではないかもしれないが、ヴェーバーであれば、人間の状態の改善は効率性よりも重要であると主張するであろう。

ヴェーバーの理論は現実の生活において完全なかたちで具現化されているわけではない。彼の理論の諸要素は「理想型」として理解されるものであり、組織上の役割にある個人や組織内での彼らの相互作用を完全に反映したものではない[34]。人によっては、ヴェーバーのモデルを組織を運営する良い方法とみなすこともある[32][33][35]。

合理的システムの視座

合理的な組織システムには二つの重要な部分がある。すなわち、(1)目標の特定性、および(2)公式化である。目標の特定化は、達成されるべき具体的な課業のための指針を、資源を配分するための規制された方法とともに提供する。公式化は組織行動を標準化する方法である。その結果として安定した期待が生まれ、それが合理的な組織システムをつくり出す[36][37]。

科学的管理法:フレデリック・ウィンズロー・テイラー(Frederick Winslow Taylor)は、いかにして最小の投入量で産出量を最大化するかを分析した。これは、以下によって個々の労働者を合理化しようとするテイラーの試みであった。

  1. 管理者と労働者のあいだで仕事を分割すること
  2. (業績に基づく)誘因システムを提供すること
  3. 労働者を科学的に訓練すること
  4. 各個人の職責について科学を発展させること
  5. 仕事が期限どおりに/効率的に完了するようにすること

科学的管理法からは問題が生じた。一つは、標準化が労働者を単調な作業に対して反発させるという点である。もう一つは、労働者が常に最適な水準で働くことを求められるために誘因システムを拒絶するという点であり、そのような期待は非現実的でありうる。

公式組織

公式組織(英語版)の概念は、マックス・ヴェーバー(Max Weber)をはじめとする組織論の分野の多くの著者によって取り上げられてきた。ヴェーバーの官僚制モデルは、この概念の一つの拡張であるといえよう。

チェスター・バーナード(Chester Barnard)の著書『経営者の役割(英語版)』において、公式組織は「組織の目的によって意識的に調整された、貢献者たちの活動の体系」と定義されている。これは、人間集団のような非公式組織とは異なる。非公式組織は個人とその相互作用から成り立つが、それらが何らかの共通目的に向けて調整されることを必要としない。もっとも、公式組織もまた、その体系の下位部分として非公式組織を含んでいる[38]。

科学的管理法

科学的管理法の理論は、生産の効率性と生産性を促進するためにフレデリック・ウィンズロー・テイラーによって導入された[39]。テイラーは、非効率は生産を科学として管理することによって統制できると論じる。テイラーは科学的管理法を「人々に何をしてほしいかを正確に知り、そのうえで彼らがそれを最良かつ最も安価な方法で行うのを見届けることに関わるもの」と定義している[40]。テイラーによれば、科学的管理法は労働者と雇用者の双方に影響を及ぼし、経営者による労働力の統制を強調するものである。

テイラーは科学的管理法の理論に内在する四つの原理を挙げている[40]。

  1. 「経験則」による方法に代わる、科学的な測定方法の創出
  2. 経営者による労働者の訓練の重視
  3. 前述の諸原理が満たされるようにするための、管理者と労働者のあいだの協働
  4. 管理者と労働者のあいだの均等な分業

分業

分業とは、個人が専門化できるように課業を分離することであり、費用効率の向上につながる。アダム・スミス(Adam Smith)は分業を効率性と産出量の増大に結びつけた[41]。スミスによれば、分業が効率的であるのは三つの理由による。すなわち、(a)職業上の専門化、(b)課業を切り替えないことによる節約、(c)人間の労働を増強する機械である。職業上の専門化は生産性の向上と独自の技能をもたらす。さらにスミスは、労働者の技能は彼らが用いる技術と適合していなければならないと論じた。

分業はしばしば資本主義において不可避のものとみなされるが、いくつかの問題が生じる。これらの問題には、疎外、創造性の欠如、単調さ、そして流動性の欠如が含まれる[42]。アダム・スミス自身もこれらの問題を予見しており、分業が労働者にもたらしうる精神的な鈍麻について述べていた[41]。分業がつくり出す単調な環境のために、創造性は当然ながら損なわれる。決まった作業を繰り返し行うことは、すべての人に適しているわけではないかもしれない。さらに分業は、仕事の他の部分に精通していない従業員を生み出す。彼らはシステムの異なる部分にいる従業員を支援することができない。

近代化理論

近代化は「一国の農村人口が地方から都市へと移動し始めたときに始まった」[43]:3。それは、より現代的で効果的な組織の方法を追求するために、伝統的な方法を停止することを扱う。都市化は社会にとって不可避の特質である。なぜなら、産業と工場の形成は利潤最大化を誘発するからである。それに続く都市化の結果として人口が増加するのに伴い、知的で教育を受けた労働力への需要が生じると想定するのが妥当である[44][43]:3。1950年代以降、西洋文化はマスメディアを利用して、近代化に帰せられる自らの幸運を伝えた。その報道は社会階級間の「経済的移動性」を促進し、経済的な発展途上国における多くの希望者の願望を高めた[44][43]:4。この理論のもとでは、いかなる国も西洋文明を雛形として用いることで近代化しうるとされた。

この近代化の理論はその利点のみを誇っているように見えたが、中東の諸国はこの運動を異なった観点から見ていた。中東の諸国は、近代化に関する報道が、より「伝統的な」社会は「より高度な技術的発展の水準に到達していない」ことを含意していると考えた[44][43]:6。その結果、彼らは、技術的発展を近代化するための金銭的資源を持つ者に利益をもたらす運動は、少数者や貧しい大衆を差別することになると考えた[44][43]:6。したがって、彼らは近代化が富める者と貧しい者との間に生み出すであろう経済的格差ゆえに、近代化に消極的であった[要出典]。

近代化の成長は1950年代に始まった[要出典]。それに続く10年間、人々は西洋社会内部における技術革新の普及と、それが世界的に拡散するのを助けたコミュニケーションを分析した[45]。この第一の「波」として知られるようになったものは、いくつかの重要な帰結をもたらした。第一に、新しい技術的手法の普及によって経済発展が促進された。第二に、近代化は(前述のように)より教育を受けた社会を、したがってより資格を備えた労働力を支えた[45]。1970年代から1980年代にかけて生じた第二の波は、近代化を批判的に再構成するものであり、西洋社会の革新を発展途上国へ押し付けることを支配の行使とみなした[45]。それは社会の改善のためにマスメディアに大きく依存するという考えを論駁した[要出典]。1990年代に生じた近代化理論の最後の波は、非人格性を描き出す[46]:737。新聞、テレビ、ラジオの利用がより普及するにつれて、伝統的な組織が誇りとしてきた概念である直接的な接触の必要性は減少する。こうして、組織的な相互作用はより疎遠なものになる[45]。

フランク・ドビン(Frank Dobbin)によれば、近代的世界観とは、「近代の諸制度は透明に目的志向的であり、われわれはより高い効率性へ向かう並外れた進歩の只中にいる」という考えである[44]:138。この概念は、効率性を最大化するという近代的な企業、官僚制、組織の目標を体現している。この目標を達成する鍵は、科学的発見と革新を通じてもたらされる[44]:139。ドビンは組織における文化の時代遅れとなった役割について論じている。「新制度派」は近代組織における文化の重要性を探究した[44]:117。しかし、合理主義的世界観は組織における文化的価値の利用に反対し、次のように述べる。「超越的な経済法則が存在し、既存の組織構造はそれらの法則のパラメータのもとで機能的でなければならず、[そして]環境は非効率的な解決策を採用する組織を淘汰するであろう」[44]:138。これらの法則は近代組織を統治し、効率的に利潤を最大化する方向へと組織を導く。したがって、組織の近代性とは、世界経済の改善のために資源を効果的に配分すべく、マスメディア、技術革新、社会的革新の利用を通じて最大の利潤を生み出すことにある。

ホーソン実験

新古典派の視座は、1920年代のホーソン実験とともに始まった。このアプローチは「組織における人間行動の情緒的・社会心理学的側面」を強調した[16]。

ホーソン実験は、従業員が割り当てられた課業を遂行する動機づけを得るためには、経済的欲求とともに社会的・心理的欲求を有することを示唆した。この管理理論は、「テイラー(Taylor)とファヨール(Fayol)の科学的かつ普遍的な管理過程の理論」に対する強い反対から生まれた産物であった[17]。この理論は、企業において従業員が扱われてきたやり方、そして彼らがその欲求と野心を奪われてきたことに対する応答であった。

1924年11月、著名なハーバード・ビジネス・スクールの教授たちからなる研究チームが、シカゴのウェスタン・エレクトリック社ホーソン工場において、労働の人間的側面と労働条件の調査を開始した。同社は電話産業向けにベルその他の電気機器を製造していた。研究チームの著名な教授には、心理学者のエルトン・メイヨー(Elton Mayo)、社会学者のレスリスバーガー(Roethlisberger)とホワイトヘッド(Whilehead)、および会社側の代表であるウィリアム・ディクソン(William Dickson)が含まれていた。チームは7年間にわたって4つの個別の実験的・行動科学的研究を実施した。それらは以下のものである。

  1. 「照明実験(1924年–27年)。照明が労働者の生産性に及ぼす効果を明らかにするためのもの。」
  2. 「リレー組立試験室実験(1927年–28年)。労働時間数および関連する労働条件の変化が労働者の生産性に及ぼす効果を明らかにするためのもの。」
  3. 「労働者への面接実験。1928年、多数の研究者が労働者のもとへ直接赴き、それまでの実験の変数を脇に置いて、労働者の意見において何が彼らにとって重要であるかについて語り合った。2年間にわたって約20,000人の労働者が面接された。この面接によって研究者たちは、それまでに行われたホーソン実験の内部では発見も検討もされていなかった、豊かで興味をそそる世界を見出すことができた。非公式組織の発見と、それが公式組織と有する関係は、労働者への面接実験における画期的な成果であった。この実験は、職場における人々の社会的・対人的な力学に関するより豊かな理解へと導いた。」
  4. 「バンク配線作業室実験(1931年–32年)。組織の社会システムを明らかにするためのもの。」

結果

ホーソン実験は、「人間的/社会的要素が職場において作動しており、生産性の向上は経営者の要求や物理的要因と同じくらい集団力学の所産である」という結論を導く助けとなった[17]。ホーソン実験はまた、金銭的動機は重要であるものの、労働者の生産性を規定するうえで社会的要因も同じくらい重要であると結論づけた。

ホーソン効果とは従業員間の生産性の向上であり、次のような特徴を持つ。

  • 同僚間の満足のいく相互関係
  • 従業員を社会的存在として分類すること。および、労働力の生産性水準を高めるためには職場における帰属意識が重要であると提唱すること。
  • 人々が集団内でどのように相互作用し行動するかを理解する効果的な管理
  • 動機づけ、リーダーシップ、コミュニケーション、カウンセリングを通じて対人スキルを改善しようとする経営側の試み
  • 従業員間の相互作用を理解し改善しうるよう、管理者が行動科学の最低限の知識を身につけることの奨励

批判

批判者たちは、メイヨーが組織の欲求に取り組むよりも、研究の社会的側面をあまりに重視したと考えた。また彼らは、この研究は従業員を利用するものであると考えた。というのも、それはあたかも従業員が満足し充足しているかのように見せかけることで彼らの感情に影響を及ぼすが、実際にはそれは組織の生産性をさらに高めるために用いられている道具にすぎないからである[17]。

ポリフォニック組織

ニールス・オーカストラム・アナセン(ドイツ語版)(Niels Åkerstrøm Andersen)()によるポリフォニック組織の研究は、社会を機能的に分化したものとして捉える彼の理解から生じている。社会は数えきれないほど多数の社会システム、すなわち独自の価値と交換コードを備えたコミュニケーション・システムへと分割されている。ニールス・アナセンは、ドイツの社会学者ニクラス・ルーマン(Niklas Luhmann)と彼の社会システムに関する理論から着想を得ている。ルーマンの理論の中核的要素は、意味の偶発性(コンティンジェンシー)という問題を軸に展開する。言い換えれば、システム理論は、コミュニケーションの理論、そして異なる社会システムの内部でいかにして意味が生成されるかについての理論となる。

ニールス・アナセンは、ルーマンのシステム理論の諸要素を用いて社会の分化を記述し、それを近代的組織の進化と結びつけている。アナセンによれば、社会は独自の二値コード(英語版)をもつ広範なシステム群へと機能的に分化している。二値コードは肯定的な価値と否定的な価値との間にいくつかの区別を設定し、世界を二つの半分に分割する。世界の理解は、二値コードの一方の側を通じてなされる。アナセンは、組織システムは常に機能システム(二値コード)を通じてコミュニケーションを行い、意味を創出すると述べる。言い換えれば、組織は一度に一つの二値コードの一方の側を通じてしかコミュニケーションできない。

歴史を通じて、組織は常にそのコミュニケーションにおいて複数のコードを用いてきたが、常に一次的な(主たる)コード化をもっていた。アナセンはこの種の組織をホモフォニック組織と呼ぶ[47]。ホモフォニック組織は、今日の社会ではもはや実践されていない。アナセンによれば、今日われわれが有するのはポリフォニック組織である。 ポリフォニック組織は、機能システムがその組織的形態を越えて爆発的に拡大した仕方の結果として出現した。

ポリフォニック組織とは、あらかじめ定められた一次的な機能システムをもたないまま複数の機能システムに接続されている組織(複数の二値コード化)である。言い換えれば、ポリフォニック組織とは、多数のコードを通じて自らを記述する組織である。

アナセンは、企業が同時に多数のコードの間を媒介しなければならないがゆえに、そのコミュニケーションと行動を計画することがいかに困難となりうるかを論じている。もはや予測可能なコードの階層(ヒエラルキー)は存在せず、したがって組織と特定のコミュニケーションとの間の結びつきも存在しない。このことは、企業が以前と比べてより多くの要因を考慮に入れなければならないため、企業にとって経営上の課題を生み出すこともある。ポリフォニック組織に関するアナセンの見方は、近代的組織とそのコミュニケーション上の決定を批判的に検討するための、より新しい方途を提供している。

ポリフォニック組織に関する研究と密接に結びついた研究者がニールス・オーカストラム・アナセン(ドイツ語版)である。ニールス・アナセンは、近代的組織は本来の組織的境界を越えて爆発的に拡大したと考えている[47]。長年にわたり、私企業は、政党が政治の一部と見なされ、美術館が芸術の一部と見なされるのと同じように、自動的に経済の一部として理解されてきた。今日、諸概念は互いに結びつけられており、ニールス・オー・アナセンによれば、これはポリフォニック組織運動と呼ばれる。この主張は、1963年にリチャード・M・サイアート(Richard M. Cyert)とジェームズ・G・マーチ(James G. March)が著書『企業の行動理論(英語版)』において最初に行ったものである。彼らは、組織がただ一つの価値のみで作動することは稀であると述べた。サイアートとマーチによれば、組織は実際には日常的な行動においてより多くの価値をもって作動することが多い。ニールス・オー・アナセンは、この主張を彼の多くの著作において敷衍している[48]。

コンティンジェンシー理論

コンティンジェンシー理論は、組織デザインを「制約条件付きの最適化問題」と見なす。これは、組織が変動する環境的制約および内部的制約の影響を最小化することによって業績を最大化しようと努めなければならないことを意味する[49]。コンティンジェンシー理論は、企業を組織する、会社を率いる、あるいは意思決定を行ううえで、唯一最善の方法は存在しないと主張する。ある状況において有効な組織、リーダーシップ、または意思決定のスタイルが、他の状況においては成功しないことがある。最適な組織、リーダーシップ、または意思決定のスタイルは、さまざまな内的および外的な制約(要因)に依存する[50]。

要因

そのような制約(要因)の例には、以下のようなものが含まれる。

  • 組織の規模
  • 企業が自らをその環境にどのように適応させるか
  • 資源および業務活動の間の差異

1. 組織に関するコンティンジェンシー

組織に関するコンティンジェンシー理論においては、組織を管理するための普遍的な、あるいは唯一最善の方法は存在しないとされる。第二に、組織デザイン(英語版)とそのサブシステムは環境に「適合」しなければならず、最後に、有効な組織は環境との適切な「適合」をもつだけでなく、そのサブシステム間の適合ももたなければならない。

2. リーダーシップのコンティンジェンシー理論

リーダーシップのコンティンジェンシー理論においては、リーダーの成功は、部下、課業、および/または集団に関する変数という形をとるさまざまな要因の関数である。以下の諸理論は、異なる組織的状況によって生み出される必要に適合した、異なるリーダーシップ・スタイルを用いることを強調している。これらの理論のいくつかは次のとおりである。

  • コンティンジェンシー理論: フレッド・フィードラー(英語版)(Fred Fiedler)によって展開されたコンティンジェンシー・モデル理論は、集団の業績がリーダーのスタイルとリーダーが働く環境の特性との間の相互作用の結果であることを説明する。
  • ハーシー=ブランチャードの状況対応理論: この理論は、ブレイク(Blake)とムートン(Mouton)のマネジリアル・グリッドおよびレディン(Reddin)の3-D経営スタイル理論の拡張である。このモデルは、関係次元と課業次元の概念をリーダーシップへ、そして成熟度(レディネス)次元へと拡張した。

3. 意思決定のコンティンジェンシー理論

意思決定手続の有効性は、状況の多くの側面に依存する。

  • 意思決定の質と受容の重要性。
  • リーダーおよび部下が保有する関連情報の量。
  • 代替案に関する部下の間での不一致の程度[51]。

批判

コンティンジェンシー理論は、特定の組織構造におけるリーダーシップ・スタイル(英語版)が直面するいかなる問題をも是正する唯一の方法がリーダーの交代であることを含意している、と論じられてきた。加えて、コンティンジェンシー・モデルそれ自体も、その信憑性が疑問視されてきた[52]。

脚注

関連項目

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