結城直朝
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正中2年(1325年)、6代当主・結城朝祐の嫡男として誕生。足利直義より偏諱を受けて直朝と名乗る[要出典][注 1]。
延元元年(1336年)4月、父・朝祐が多々良浜の戦いで戦死したため、12歳で家督を継いだ[3][注 2]。直朝は引き続き北朝勢力に与し、南朝方の白河結城氏、小田氏、関氏などと対立した。
また、朝祐は、生前、箱根・竹ノ下の戦いなどの戦功により、足利尊氏から常陸国関郡(新治西郡南条)[5]を宛てがわれていた[6]。直朝は同郡支配のために戦い続けている[2]。
興国4年/康永2年(1343年)、尊氏の重臣・高師冬に従って、南朝方の北畠親房や関宗祐・宗政父子が守る常陸国関城の攻撃に参加した[7][8](関城合戦)。
同年4月3日、関城から出撃した春日顕国との戦いで重傷を負い、死去した[4][1][7][注 3]。享年19[1][7]。大竜庵固翁堅大と諡された[1]。関城跡に直朝の墓が現存する[9]。