美和神社 (長野市)
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位置
北緯36度39分47.2秒 東経138度12分11.2秒 / 北緯36.663111度 東経138.203111度座標: 北緯36度39分47.2秒 東経138度12分11.2秒 / 北緯36.663111度 東経138.203111度
主祭神
大物主命
| 美和神社 | |
|---|---|
|
鳥居と拝殿 | |
| 所在地 | 長野県長野市大字三輪字相ノ木東514 |
| 位置 | 北緯36度39分47.2秒 東経138度12分11.2秒 / 北緯36.663111度 東経138.203111度座標: 北緯36度39分47.2秒 東経138度12分11.2秒 / 北緯36.663111度 東経138.203111度 |
| 主祭神 | 大物主命 |
| 社格等 |
式内社(小) 旧県社 |
| 創建 | 不詳 |
| 本殿の様式 | 一間社流造 |
| 札所等 | 善光寺七社 |
| 例祭 |
4月27日(春季例大祭) 9月26日・27日(秋季例大祭) |
| 主な神事 | 越年祭(12月16日) |
| 地図 | |
祭神
歴史
概史
創建は不詳。祭神・社名とも大和国の大神神社と同じで三輪系の神社であるが、その由来は定かでない。『善光寺縁起』には、大和三輪出身の三輪時丸が善光寺に参詣しそのまま当地に留まった、このとき大神神社の神体を奉納したので大神神社には神体がない、という伝説が記されている[1]。これはこの地に三輪氏系の人々が移住したことを示すとも解され、周辺には時丸の塚と称するものと時丸寺がある[1]。また、長野市信更町田野口にある松ノ山窯跡からは、堺市に存在する陶邑窯跡群と形態的・技術的類似性が認められる土器が出土しており(和泉陶邑窯編年で6世紀初頭と考えられているTK47型式( - MT15型式)に比定されている)、陶邑の窯は三輪氏の配下の渡来人が運営していたと考えられていることから、ここからも三輪氏が長野市に移住してきていた可能性が指摘されている[3][4]。
文献上は、貞観3年(861年)に相殿神の国業比売神に神階が授けられたという記述[5]が初出。
貞観8年(866年)には兵疾の災いを防ぐため、「三和神・神部神」への奉幣読経がなされており[6]、この地方の重要な神であったことがうかがわれる[1]。『延喜式神名帳』には「信濃国水内郡 美和神社」と記載され、式内社に列している。
旧称は「三輪神社」であったが、安永3年(1774年)に吉田家から許可を受け現在の「美和神社」に改称した[1]。寛政5年(1793年)、現在の社殿が造営された。
1873年(明治6年)、近代社格制度において村社に列し、1935年(昭和10年)に県社に昇格した。1986年(昭和61年)、献幣使参向神社に指定。
