羽田憲司

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愛称 ハネ、ハネケン
カタカナ ハネダ ケンジ
ラテン文字 HANEDA Kenji
国籍 日本の旗 日本
羽田 憲司
名前
愛称 ハネ、ハネケン
カタカナ ハネダ ケンジ
ラテン文字 HANEDA Kenji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-12-01) 1981年12月1日(44歳)
出身地 千葉県市川市[1]
身長 180cm[1]
体重 75kg[1]
選手情報
ポジション MF[1] / DF
利き足 右足
ユース
1997-1999 日本の旗 市立船橋高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2006 日本の旗 鹿島アントラーズ 19 (2)
2007-2010 日本の旗 セレッソ大阪 127 (2)
2011-2012 日本の旗 ヴィッセル神戸 6 (0)
通算 152 (4)
代表歴
2001  日本U-20 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

羽田 憲司(はねだ けんじ、1981年12月1日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。サッカー指導者。

市立船橋高校時代は、キャプテンおよびディフェンスリーダーとして第78回高校選手権の優勝に貢献。2000年に鹿島アントラーズに入団。プロ入り後はセンターバックボランチで主にプレーし、2001年ワールドユース選手権ではU-20日本代表のキャプテンを務めた。

2001年8月、足首に原因不明の痛みを覚え、長期にわたる戦線離脱を余儀なくされる。ブラジルでの手術後は状態が好転し、2005年5月21日のナビスコカップセレッソ大阪戦で3年9ヶ月ぶりの公式戦出場を果たす。2007年より当時J2のセレッソ大阪へ期限付き移籍し、2009年には同チームへ完全移籍した。2011年よりヴィッセル神戸へ移籍したが、故障の影響で2年間で6試合出場にとどまる。2012年限りで契約満了により退団し、現役引退を発表した[1]。上記の通り長期離脱を余儀なくされるも、リハビリ中にサッカーを諦める事は考えなかったという。[要出典]

エピソード

  • 小学生時代は野球少年で、ポジションはショートを守る内野手だった。当時からプロ野球読売ジャイアンツファンで、原辰徳にあこがれていた。父に初めてジャイアンツ本拠地である東京ドームに連れて行ってもらった時は感動したという。[要出典]
  • 中澤聡太とは、高校の先輩後輩、2007年に大阪のチームに移籍し、同じ背番号をつけているという共通点がある。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000鹿島24J1305030110
20011461000061
200200000000
200300000000
200400000000
200561200081
200640500090
2007C大阪2J2250-20270
2008321-20341
2009501-10511
2010J12005020270
2011神戸660100070
201200000000
通算日本J1 45218050682
日本J2 1072-501122
総通算 15241801001804
  • 強化指定選手としての試合出場はなし。

その他の公式戦

代表歴

指導歴

脚注

関連項目

外部リンク

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