駒野友一

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愛称 コマちゃん[1]、コマ[2]
カタカナ コマノ ユウイチ
ラテン文字 KOMANO Yuichi
国籍 日本の旗 日本
駒野 友一
名前
愛称 コマちゃん[1]、コマ[2]
カタカナ コマノ ユウイチ
ラテン文字 KOMANO Yuichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-07-25) 1981年7月25日(44歳)
出身地 和歌山県海南市
身長 173cm
体重 72kg
選手情報
ポジション DF / MF
利き足 右足
ユース
1997-1999 サンフレッチェ広島
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2007 サンフレッチェ広島 191 (9)
2008-2015 ジュビロ磐田 257 (13)
2016 FC東京 1 (0)
2016 アビスパ福岡(loan) 12 (1)
2017-2018 アビスパ福岡 63 (2)
2019-2022 FC今治 92 (2)
通算 616 (27)
代表歴2
1999-2001  日本 U-20 10 (0)
2002-2004  日本 U-23 4 (0)
2005-2014[3] 日本の旗 日本 78 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2021年12月29日現在。
2. 2013年8月14日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

駒野 友一(こまの ゆういち、1981年7月25日 - )は、和歌山県海南市出身[4][5]の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー[6]ミッドフィールダー[7]。元日本代表広島県立吉田高等学校卒業[4]

プロ入り以前

小学生の頃はFWだったが、中学2年生時に招集された関西選抜において「左足で蹴れるから」と抜擢された左サイドハーフ(SH)での活躍により[8]、同3年生時には複数の私立高校やクラブから勧誘された。

1996年秋に父が病死したこともあり[4]寮費減免があるサンフレッチェ広島ユースを選択[9][8]。同年冬に広島県・吉田中学校へ転校し、1997年、高校1年生時から広島ユースに加入[4][注 1]ウイングバック(WB)として活躍し、高校3年次には同級生の森崎和幸浩司兄弟とともに2種登録選手になった。

サンフレッチェ広島時代

2000年、サンフレッチェ広島とプロ契約を締結[10][注 2]。翌2001年、ヴァレリー・ニポムニシに見出され、右サイドバック(SB)として沢田謙太郎からレギュラーを奪った[9]。その後も安定したプレーを見せ、その年の2ndステージ3位になる原動力となった。これ以降も右アウトサイドのレギュラーとして活躍した。

2003年8月、J2第28節横浜FC戦で左膝前十字靭帯を断裂[9][11][12]。手術後の入院中に脚をギプスで固定したことで静脈血栓塞栓症を発症し生命の危機に陥った[12]。懸命なリハビリを続け、2004年4月のナビスコカップ横浜FM戦で復帰。駒野不在の間、広島の右サイドのレギュラーに定着した選手はいなかった。

2004年9月にはぶどう膜炎を発症し失明の危機まであったが[9]軽症で済んだ[12]。2005年にかけて復調し、佐藤寿人へのクロスによってチャンスを量産[12]、右SBながら9アシストを記録した[注 3]。利き足である右足から放つクロスを得意とし、特にFWの動きに合わせた軌道を研究して練習した、と自身で述べる鋭く曲がり落ちるアーリークロスは大きな武器となり、当時の専門誌において「クロスボール部門」Jリーガー第1位に選ばれている[13]

2007年、広島は守備の崩壊などによりシーズンを16位で終え、入れ替え戦の末J2への降格が決定。オフには広島からの慰留に加えてジュビロ磐田及びヴィッセル神戸からオファーを受けた[14][15]が、ジュビロ磐田への移籍を決断した[16][7]。佐藤寿人は入れ替え戦の敗北後サポーターに向けて残留宣言とも取れるメッセージを発し、ベガルタ仙台での降格経験からチーム戦力維持のためにチームメイトへの慰留を行ったが、日本代表の主力であった駒野だけは直ぐに呼びかけることができなかった[17]。結果として、駒野は当時レンタル移籍中であったウェズレイを除き唯一広島を退団した主力選手となった。

ジュビロ磐田時代

2009年からは背番号を田中誠の退団により空いた広島在籍時と同じ「5」に、ポジションをMFからDF(SB)に変更。2年続けてJ1残留争いを経験し[18]、同年末には広島からの復帰要請に前向きな姿勢を見せるも[18] 広島の資金難によって復帰は立ち消えとなり[19] 磐田に残留。

2010年もSBとして活躍を続けたが、同年10月の韓国代表戦で右上腕骨骨折[20]磐田が12年ぶりの優勝を決めたナビスコカップ決勝戦を含めたシーズン終盤を欠場した。

2011年、右SBとしてJ1全試合にフル出場し、FW前田遼一との好連携でリーグ最多のアシストを記録[21][注 3]。2012年1月にはベルギー1部リーグシント=トロイデンVVへの移籍で基本合意に至るも[22]、磐田との契約期間を残しており[23] 違約金等の調達がまとまらずに頓挫[24][25]。磐田残留が決まった[26]

2012年もリーグ戦全試合に出場し、自身初のJリーグベストイレブンに選出された。

2013年は監督・森下仁志による新布陣採用に伴ってSBからWBにポジションを上げたが、これが奏功せずチームは低迷[27]。同年は主将を務め[28] 第23節新潟戦でJ1通算350試合出場を達成するも[29]、クラブ史上初、自身3度目のJ2降格を喫した[28]

2015年はシーズン後半にかけて宮崎智彦に左SBのレギュラーを奪われたが、第33節群馬戦では途中出場で直接FKによる決勝点を挙げ[30]、ベテランとしてチームを支え磐田のJ1昇格に貢献。しかし、磐田からは契約延長を打診されたが、若返りを理由に単年契約でのオファーだった事もあり、退団を決意した[31]

FC東京時代

2016年よりFC東京へ移籍[32][6]。 2月9日に行われた2016年シーズン初戦となったAFCチャンピオンズリーグ2016 プレーオフ・チョンブリーFC戦でスタメンで出場。自身初のACLとなったvs全北現代モータースで肉離れを起こし、リーグ開幕戦は欠場となった[33]。オーバーエイジ枠でFC東京 U-23として、同年4月3日に行われたJ3リーグ第3節・ブラウブリッツ秋田戦で初めてJ3の試合に出場した。 2016年7月、怪我や若手の小川諒也の活躍もあり、リーグ戦は1試合のみの出場で止まり、同年7月3日にアビスパ福岡へ期限付き移籍[34]

アビスパ福岡時代

11月22日に契約満了によりFC東京を退団する事が発表され[35]、2017年1月6日に期限移籍先であった福岡へ完全移籍する事が発表された[36]。10月22日に行われたジェフユナイテッド市原・千葉戦でJリーグ通算500試合を達成。

2018年11月25日、福岡との契約満了が発表された[37]

FC今治時代

2019年1月4日、南アフリカW杯で日本代表監督だった岡田武史が代表を務め、広島在籍時代監督だった小野剛が監督を務める[38]FC今治へ入団すると発表された[39]。2019年シーズン、JFLベストイレブン受賞[40]

2022年10月11日、2022年をもって現役引退することを発表した[41]

現役引退後

2023年4月から古巣 サンフレッチェ広島のスクールコーチに就任した[42]。同年10月24日にJリーグ功労選手賞を受賞した[43]

2025年2月からサンフレッチェ広島アカデミーのユースコーチに就任[44]

その後吉本興業に所属している。

日本代表

年代別代表時代から左右のSBとしてプレー。2004年にはU-23日本代表としてアテネオリンピックに選出されたが、ガーナ戦で左鎖骨を骨折[9][12]

A代表には、2005年の東アジア選手権で負傷の三浦淳宏に代わって初招集され[45]、8月3日の中国戦で国際Aマッチ初出場[46]。その後もDF加地亮のバックアッパーとして定着し[46][47]翌2006年開催のワールドカップメンバーに選出された。これは追加招集された茂庭照幸と共に「アテネ世代」からの数少ない選出であった。加地の負傷により[9][46]、本大会初戦のオーストラリア戦で先発出場。この試合では同点に追いつかれた直後、ペナルティエリア内でドリブルを仕掛けて相手DFに倒され、あわや追加点となるチャンスを作った[注 4]。しかし守備で振るわずに逆転負けを喫し[48][46]、加地が復調した第2戦以降は控えに回った[48]

2006年から2007年にかけてのイビチャ・オシム体制下では、スピード[注 5]を評価され、左SB及び左WBの一番手として重用されたが[47]、オシム後任の岡田武史監督の下ではDF内田篤人長友佑都ら若手選手の台頭により、控えに戻った[46]

2010年開催のFIFAワールドカップでは、大会直前に行われた強化試合コートジボワール戦におけるDF今野泰幸の負傷もあり[9][48]堅実なプレーでポジションを再奪取[50][51]。本大会のグループリーグ3試合決勝トーナメント1試合の計4試合で右SBとして先発出場した。好調を維持し[48]、スプリント数においては日本代表では駒野と本田圭佑だけが4試合全てで100超を数え[52][53][54][55]、また、カメルーン戦では時速25.77kmを記録[52]。攻守に献身的な働きで[11]日本の決勝T進出に貢献した。決勝T1回戦のパラグアイ戦では、相手陣内深いエリアまで上がり再三クロスを上げるなどチャンスを演出し、パラグアイに押し込まれた時間帯には体を張った守備でピンチの芽を摘むなど豊富な運動量でチームの完封に貢献した[56]。同試合は延長戦でも決着せずPK戦となり、駒野は3人目のキッカーを任されたが[57] シュートをバーに当て失敗[11][56]。パラグアイは全員PKを成功させたためベスト8進出を逃した。

2010年8月以降のアルベルト・ザッケローニ体制下でも内田・長友の控えが続いたが[58][46][59]、2011年10月11日のFIFAワールドカップ3次予選タジキスタン戦では国際Aマッチ初得点を含む1ゴール2アシストの活躍[60][61]。通算65試合目の出場での初得点は、GKを除き日本代表史上最も遅いものとなった[59][61]

2013年の東アジアカップでは、これまでの貢献度の高さを理由にチームキャプテンを任された[62][63]。第1戦中国戦では2失点に絡んだが、急造チームに一体感を作り、日本の同大会初優勝に貢献[64]

チームに献身する姿勢はザッケローニから「本当のプロフェッショナル」と賞賛されていたが[65]2014年のFIFAワールドカップに際しては、予備登録の30名に留まり、自身3度目となる本大会のメンバー入りを逃した[66]

エピソード

  • 利き脚は右だが、利き腕は左利き[2]。サインは右手で書く、野球は左投げ左打ち、趣味のゴルフ[2][45]は左打ち。
  • 実弟の森川祐輝(旧姓・駒野)は、アマチュア選手として関西リーグ1部パナソニックエナジー洲本サッカー部(旧 三洋電機洲本サッカー部)に所属[67]
  • いじられキャラ。『やべっちFC』にてゲスト出演していた中山雅史に駒吉と呼ばれるなど、クラブや代表のチームメートからネタにされた逸話も多い。また、2014年からジュビロで同じチームとなった松井大輔は、入団会見で「チームの中で1年間駒野をずっといじっていこうかなと思っています。」と話している[68]
  • 2度のワールドカップでも着用した日本代表での背番号「3」に強いこだわりを持っている。2012年に本田圭佑から3番を譲るように頼まれたがこれを拒否したため[69]、本田は4番に定着。
  • 2014年から「ふるさとアスリート」としてよしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属[70]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000広島23J100301040
200152413020291
20022712040331
2003J2230-00230
2004J11813010221
20053424010392
20063121021343
20073423051423
2008磐田253411100352
200953411010361
20102304000270
20113423000372
20123434010393
20133424120403
2014J2353-20373
2015291-00291
2016FC東京50J110--10
福岡241210000121
20173J2391-00391
2018241-10251
2019今治JFL291--291
2020J3241--241
2021230-11241
2022170---170
通算日本J1 3741936220243023
日本J2 1506-301536
日本J3 641-11652
日本JFL 291--291
総通算 6172736224367732
その他の公式戦
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 期間通算
出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 期間通算
2016F東2350J34040
通算日本J3 4040
総通算 4040
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2016FC東京5020
通算AFC 20
その他の国際公式戦
出場歴

指導歴

代表・選抜歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 78試合 1得点 (2005-2014)[3]
日本代表国際Aマッチ
出場得点
200550
2006100
2007120
2008130
200990
2010110
201171
201250
201360
201400
通算 781

出場

No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.2005年08月03日大韓民国の旗大田 中華人民共和国△2-2ジーコ東アジア選手権
2.2005年08月07日大韓民国の旗大邱 韓国○1-0東アジア選手権
3.2005年10月08日ラトビアの旗リガ ラトビア△2-2国際親善試合
4.2005年10月12日ウクライナの旗キエフ ウクライナ●0-1国際親善試合
5.2005年11月16日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 アンゴラ○1-0キリンチャレンジカップ
6.2006年02月18日日本の旗静岡県静岡県小笠山総合運動公園スタジアム フィンランド○2-0キリンチャレンジカップ
7.2006年05月30日ドイツの旗レバークーゼン ドイツ△2-2国際親善試合
8.2006年06月04日ドイツの旗デュッセルドルフ マルタ○1-0国際親善試合
9.2006年06月12日ドイツの旗カイザースラウテルン オーストラリア●1-3ワールドカップ
10.2006年08月09日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ブラジル○2-0イビチャ・オシムキリンチャレンジカップ
11.2006年08月16日日本の旗新潟県新潟スタジアム イエメン○2-0アジアカップ予選
12.2006年09月03日サウジアラビアの旗ジッダ サウジアラビア●0-1アジアカップ予選
13.2006年10月04日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ガーナ●0-1キリンチャレンジカップ
14.2006年10月11日インドの旗バンガロール インド○3-0アジアカップ予選
15.2006年11月15日日本の旗北海道札幌ドーム サウジアラビア○3-1アジアカップ予選
16.2007年03月24日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 ペルー○2-0キリンチャレンジカップ
17.2007年06月01日日本の旗静岡県静岡県小笠山総合運動公園スタジアム モンテネグロ○2-0キリンカップ
18.2007年06月05日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 コロンビア△0-0キリンカップ
19.2007年07月13日ベトナムの旗ハノイ アラブ首長国連邦○3-1アジアカップ
20.2007年07月16日ベトナムの旗ハノイ ベトナム○4-1アジアカップ
21.2007年07月21日ベトナムの旗ハノイ オーストラリア△1-1(PK4-3)アジアカップ
22.2007年07月25日ベトナムの旗ハノイ サウジアラビア●2-3アジアカップ
23.2007年07月28日インドネシアの旗パレンバン 韓国△0-0(PK5-6)アジアカップ
24.2007年08月22日日本の旗大分県大分スポーツ公園総合競技場 カメルーン○2-0キリンチャレンジカップ
25.2007年09月07日オーストリアの旗クラーゲンフルト オーストリア△0-0(PK3-4)3大陸トーナメント
26.2007年09月11日オーストリアの旗クラーゲンフルト スイス○4-33大陸トーナメント
27.2007年10月17日日本の旗大阪府長居陸上競技場 エジプト○4-1アジア・アフリカチャレンジカップ
28.2008年01月26日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 チリ△0-0岡田武史キリンチャレンジカップ
29.2008年01月30日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ボスニア・ヘルツェゴビナ○3-0キリンチャレンジカップ
30.2008年02月06日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 タイ○4-1ワールドカップ予選
31.2008年02月17日中華人民共和国の旗重慶 北朝鮮△1-1東アジア選手権
32.2008年02月20日中華人民共和国の旗重慶 中華人民共和国○1-0東アジア選手権
33.2008年03月26日バーレーンの旗マナマ バーレーン●0-1ワールドカップ予選
34.2008年05月24日日本の旗愛知県豊田スタジアム コートジボワール○1-0キリンカップ
35.2008年05月27日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 パラグアイ△0-0キリンカップ
36.2008年06月02日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 オマーン○3-0ワールドカップ予選
37.2008年06月07日オマーンの旗マスカット オマーン△1-1ワールドカップ予選
38.2008年06月14日タイ王国の旗バンコク タイ○3-0ワールドカップ予選
39.2008年08月20日日本の旗北海道札幌ドーム ウルグアイ●1-3キリンチャレンジカップ
40.2008年11月13日日本の旗兵庫県御崎公園球技場 シリア○3-1キリンチャレンジカップ
41.2009年01月20日日本の旗熊本県熊本県民総合運動公園陸上競技場 イエメン○2-1アジアカップ予選
42.2009年02月04日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 フィンランド○5-1キリンチャレンジカップ
43.2009年05月27日日本の旗大阪府長居陸上競技場 チリ○4-0キリンカップ
44.2009年06月06日ウズベキスタンの旗タシケント ウズベキスタン○1-0ワールドカップ予選
45.2009年09月09日オランダの旗ユトレヒト ガーナ○4-3国際親善試合
46.2009年10月08日日本の旗静岡県静岡市清水日本平運動公園球技場 香港○6-0アジアカップ予選
47.2009年10月10日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 スコットランド○2-0キリンチャレンジカップ
48.2009年11月14日南アフリカ共和国の旗ポート・エリザベス 南アフリカ共和国△0-0国際親善試合
49.2009年11月18日香港の旗香港 香港○4-0アジアカップ予選
50.2010年02月02日日本の旗大分県大分スポーツ公園総合競技場 ベネズエラ△0-0キリンチャレンジカップ
51.2010年02月11日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 香港○3-0東アジア選手権
52.2010年05月24日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 韓国●0-2キリンチャレンジカップ
53.2010年06月04日スイスの旗シオン コートジボワール●0-2国際親善試合
54.2010年06月14日南アフリカ共和国の旗ブルームフォンテーン カメルーン○1-0ワールドカップ
55.2010年06月19日南アフリカ共和国の旗ダーバン オランダ●0-1ワールドカップ
56.2010年06月24日南アフリカ共和国の旗ルステンブルク デンマーク○3-1ワールドカップ
57.2010年06月29日南アフリカ共和国の旗プレトリア パラグアイ△0-0(PK3-5)ワールドカップ
58.2010年09月04日日本の旗神奈川県横浜国際総合競技場 パラグアイ○1-0原博実(代行)キリンチャレンジカップ
59.2010年09月07日日本の旗大阪府長居陸上競技場 グアテマラ○2-1キリンチャレンジカップ
60.2010年10月12日大韓民国の旗ソウル 韓国△0-0アルベルト・ザッケローニ国際親善試合
61.2011年08月10日日本の旗北海道札幌ドーム 韓国○3-0キリンチャレンジカップ
62.2011年09月02日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 北朝鮮○1-0ワールドカップ予選
63.2011年09月06日ウズベキスタンの旗タシケント ウズベキスタン△1-1ワールドカップ予選
64.2011年10月07日日本の旗兵庫県御崎公園球技場 ベトナム○1-0キリンチャレンジカップ
65.2011年10月11日日本の旗大阪府長居陸上競技場 タジキスタン○8-0ワールドカップ予選
66.2011年11月11日タジキスタンの旗ドゥシャンベ タジキスタン○4-0ワールドカップ予選
67.2011年11月15日朝鮮民主主義人民共和国の旗平壌 北朝鮮●0-1ワールドカップ予選
68.2012年02月24日日本の旗大阪府長居陸上競技場 アイスランド○3-1キリンチャレンジカップ
69.2012年02月29日日本の旗愛知県豊田スタジアム ウズベキスタン●0-1ワールドカップ予選
70.2012年08月15日日本の旗北海道札幌ドーム ベネズエラ△1-1キリンチャレンジカップ
71.2012年09月06日日本の旗新潟県新潟スタジアム アラブ首長国連邦○1-0キリンチャレンジカップ
72.2012年09月11日日本の旗埼玉県埼玉スタジアム2002 イラク○1-0ワールドカップ予選
73.2013年03月22日カタールの旗ドーハ カナダ○2-1国際親善試合
74.2013年03月26日ヨルダンの旗アンマン ヨルダン●1-2ワールドカップ予選
75.2013年05月30日日本の旗愛知県豊田スタジアム ブルガリア●0-2キリンチャレンジカップ
76.2013年07月21日大韓民国の旗ソウル 中華人民共和国△3-3東アジアカップ
77.2013年07月28日大韓民国の旗ソウル 韓国○2-1東アジアカップ
78.2013年08月14日日本の旗宮城県宮城スタジアム ウルグアイ●2-4キリンチャレンジカップ

ゴール

#開催年月日開催地対戦国勝敗試合概要
1.2011年10月11日日本の旗 日本大阪市タジキスタンの旗 タジキスタン○8-02014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選

タイトル

代表

U-18/U-19日本代表
U-21日本代表
日本代表

個人

その他表彰

関連情報

出演

CM
映画
PV
  • PUSHIM「誓い feat.MIHIRO -マイロ-」 (2010年)

展示

脚注

関連項目

外部リンク

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