翔べイカロスの翼
From Wikipedia, the free encyclopedia
ノンフィクション書籍の正式な名称は『翔べイカロスの翼 - 青春のロマンをピエロに賭けた若者の愛と死』である。 写真家志望の青年、栗原徹は、サーカス団員たちの写真を撮り続けるうちにサーカスそのものに魅せられていく。ついには自らも入団しピエロとなって活躍、サーカス団のスターとなるが、演技中のアクシデントにより20代の若さでこの世を去った。同書は栗原が遺した日記と関係者への取材により構成されている。
1979年に西城秀樹主演でテレビドラマ化、1980年にはさだまさし主演のインディーズ映画が制作・発表された。同じく1980年には、西友ファミリー劇場でミュージカル化(主演:子門真人)。1986年 - 1995年には劇団東演が小松幹生の脚本により舞台化、2009年5月には新しい演出・脚本で上演された。
作品解説
栗原徹は大学卒業後、写真家を志すが芽が出ず悩む日々を送っていた。しかし命がけの芸に生きるサーカス団員を取材するうち、彼らの世界を内側から撮りたいという思いに駆られ、雑用係としてキグレサーカスに入団する。その生活の中で、サーカスというものは大きな家族のようなものだと感じた栗原は、自らもサーカスの人間になりたいという思いから、芸人修行を願い出た。当初は高学歴の若者の気まぐれと考え、難色を示していた団員達も、やがて彼の熱意に打たれて芸を教え始める。
入団三年目、栗原はピエロを目指す。それまで日本のサーカスでは「ピエロ」は「からかい」とも呼ばれ、おどけた仕草で笑いをとるだけの存在であり、年を取って身体能力の落ちた芸人の役どころとされていた。しかし栗原は、海外で”クラウン”と称される、豊かな表現力と高度な芸で観客を魅了する一流のピエロを目標とし、パントマイムやアクロバットの技術を身に着ける。さらに危険な「高綱渡り」にも挑み、「綱渡りの綱の中央で椅子に座り、ポーズをとってみせる」という高難度の芸をもマスターした。独学でキャラクター作りにも取り組み、ファンサービスを惜しまない栗原は「ピエロのクリちゃん」として子供たちの人気者となる。
栗原の活躍ぶりは日本のサーカス界でも「キグレに良いピエロがいる」と噂を呼び、ショーの流れを変えた存在として注目を集めるようになっていく。その裏には、他の芸人が寝静まった夜中にもメーキャップを施し、鏡の前で稽古に励むという不眠不休の努力があった。偶然その現場を目撃した団員は、暗闇の中で白塗りのピエロが踊っている姿に肝をつぶしたという。
すでにキグレの屋台骨を支えるトップスターとなっていた栗原だが、写真家としての道をあきらめたわけではなく、いずれ世界に出て海外のサーカスに飛び込み、舞台に立ちつつ内側からサーカスを撮りたいという夢を抱いていた。
しかし水戸市での興行において、高綱渡りのクライマックスである「椅子に座ってのポーズ」を終えてゴールへ向かおうとしたとき、テント上部の通気口から突風が吹きこみ、栗原はバランスを失って落下。折悪しく、最も危険な場面を終えたために防護ネットは回収され始めていた。団員たちは慌ててネットを引き戻したが、瞬時の差で間に合わず栗原はステージ床に叩きつけられた。
栗原は瀕死の重傷を負いながらも、子供たちにショックを与えぬようにしてほしいと言い残した。彼が運び込まれた病院やサーカスの受付には、子供たちからの”クリちゃん”の無事を願う電話が鳴り続けたが、その声も空しく栗原はこの世を去った。
著者の草鹿宏は同書の中で、栗原の事故の原因はスター芸人として平日4時間、週末はその倍を出ずっぱりで務めるというハードなスケジュールにあったこと、その状態でさらに睡眠時間を削ってまで稽古に励んでいたことによる疲労の蓄積にあったのではないかと推測している。栗原にパントマイムを教えたヨネヤマ・ママコは、常識に挑むかのような生涯を駆け抜けた栗原を、ギリシャ神話のイカロスに例えてその死を惜しんだ。