能登国
令制国の一つ
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沿革
成務朝に能等国造が置かれ、次いで雄略朝に羽咋国造が置かれたと伝えられる。養老2年(718年)5月2日、越前国から羽咋郡、能登郡、鳳至郡、珠洲郡の四郡を分立して能登国が成立した[1]。
天平13年(741年)12月10日に越中国に併合された[2][注釈 1]
天平勝宝8歳(757年)5月8日、越中国から再び分立した[3]。
また、天元3年(980年)、『和名抄』の編纂で有名な源順が能登国守として赴任している。
能登郡の名称は後に鹿島郡へと改められた。
江戸時代に、能登国の大部分は加賀藩領であったが、一部に幕府領(「能登天領」と呼ばれる)・旗本領があった。寛文11年(1671年)5月4日、加賀藩は、羽喰郡を羽咋郡、鹿島郡を能登郡と改めた[4]。
「能登天領」の起源は、江戸時代初期に加賀藩前田家が土方家と交換したと伝えられる約1万石あまりの知行地である[注釈 2]。土方家はその後加増を経て陸奥窪田藩に移ったが、貞享元年(1684年)に改易されたため、その領地は幕府領となった[注釈 3]。その後、元禄年間に2度、能登天領を割いて1万石の小藩が設置されているが(能登下村藩、西谷藩)、いずれも短期間で転出して幕府領に戻されている。享保7年(1722年)に幕府は能登天領の管理を加賀藩に委ねた。加賀藩は府中村(現在の七尾市役所付近)に役所を設け、預地の管理に当たった(能登下村藩#「能登天領」と下村藩参照)。
近代以降の沿革
領域
国内の施設
地域
郡
国司
能登守
守護
鎌倉幕府
室町幕府
- ?~1336年 - 吉見頼為?
- 1336年 - 吉見頼顕
- 1337年~1346年 - 吉見頼隆
- 1348年~? - 吉見氏頼
- 1349年~1351年 - 桃井盛義?
- 1352年~1379年 - 吉見氏頼
- 1379年~1391年 - 本庄宗成
- 1391年~1406年 - 畠山基国
- 1406年~1432年 - 畠山満則
- 1432年~? - 畠山義忠
- 1478年~1497年 - 畠山義統
- 1497年~1500年 - 畠山義元
- 1500年~1506年 - 畠山慶致
- 1506年~1515年 - 畠山義元
- 1515年~1542年 - 畠山義総
- 1543年~1551年 - 畠山義続
- 1551年~1565年 - 畠山義綱
- 1565年~1574年 - 畠山義隆