臨津江
朝鮮半島の河川
From Wikipedia, the free encyclopedia
地理

源流は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の江原道法洞郡で、平安南道との境界に伸びる阿虎飛嶺山脈の最高峰、頭流山から流れ下っている。東の馬息嶺山脈と西の阿虎飛嶺山脈に挟まれた江原道西部の谷間(楸哥嶺地溝帯)を、法洞郡・板橋郡・伊川郡とまっすぐ南西に向かい、南東に向きを変え鉄原郡(旧安峡郡・黄海道兎山郡の一部・京畿道朔寧郡の大部分)と黄海北道兎山郡・開城市長豊郡との道界[注釈 1]を経て軍事境界線に至る。



軍事境界線を越えると、北朝鮮の江原道から大韓民国京畿道の漣川郡に入り、江原道平康郡・鉄原郡から流れてきた大きな支流である漢灘江と合流する。2019年、流域は漣川郡の郡域と共にユネスコの生物圏保護区に指定された[1]。
坡州市でソウルから板門店に向かう統一大橋、かつてソウルから新義州を結んでいた京義線の臨津江鉄橋(自由の橋)が架けられている。臨津江の北岸は民間人出入統制区域となっており、許可を受けた住民や観光客以外は立ち入れない。坡州市の南で漢江と合流し、川幅が広がる。
河口には江華島がある。高麗時代、元の軍隊に脅かされた高麗が都を開城から江華島に移した。元の騎馬部隊は、川幅800メートルの臨津江を渡ることが出来なかった。
南北の境界
韓国と北朝鮮の軍事境界線に近いことから、南北分断の悲劇を語る舞台として登場する。この名を冠した楽曲「イムジン河」や、報道誌『臨津江[2]』も存在する。
北朝鮮の方が上流にあるため、北朝鮮側のダム操作によって韓国側が洪水や水不足に陥るのではという指摘があり、実際に1996年、1998年、1999年には洪水が発生している[3][4]。こうした事態に対応するため韓国側では郡南ダムの建設を進めていたが、2009年9月6日に北朝鮮による黄江ダムの無断放流によって河畔でキャンプをしていた6人が増水で流されて全員が死亡する事故が発生[4][5]。その後、北朝鮮による公式謝罪と放流の事前通知に関しての取り決めがなされた[5]。
韓国は、北朝鮮のダムが建設されるたびに抗議をしているが、北朝鮮は応じず、一方的にダムを建設しているとされる[6][7]。
注釈
- 北朝鮮側では、この川を境界として左岸が鉄原郡に編入された。朔寧郡に属した北側地域が全域鉄原郡に編入されたこともあったが、右岸は長豊郡に編入された。



