花山手東
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地名の由来
宮崎市の中部、大淀川の南岸の丘陵に建設されたニュータウン「花山手団地」の一部をなす。花山手団地を南北に走る「能登坂」を境に西が花山手西、東が花山手東となる。団地内を大淀川水系の青柳川が流れる。
北方を、福島町、大坪町(向溝田、粢田)、東方を大坪東、大坪西、南方を大坪町(字なし・倉ノ町)と接する。
1541年(天文10年)、長嶺城主・長倉能登守が、兄の穆佐城主・長倉上総介とともに、伊東義祐に謀叛を起こしたが討ち死にしたという伝えがあり、その戦があった所を大坪の合戦原(かっせんばる)というようになったと伝えられる[5]。それに由来した地名として、東西通りが「合戦坂」、南北通りが「能登坂」の通り名がつけられた。
花山手は花山手ニュータウンが造成された際についた地名である。