花山院長定
From Wikipedia, the free encyclopedia
兄2人が早世したために三男にして花山院家を継いだ。しかし長定自身も30代で辞官・出家しまい、子の兼定は若年にして家を継がねばならなくなる。
経歴
以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』、『師守記』、『園太暦』の記事に従って記述する。
- 嘉暦元年(1326年)8月9日、少将を経ず左中将に直任される[1]。これは同年1月に兄・経定が権中納言のまま薨去したことによると考えられる。
- 嘉暦3年(1328年)3月24日、伊予介を兼ねる。同年9月21日、正四位下に叙され、同年11月27日には従三位に叙された。左中将は元の如し。
- 元徳2年(1330年)4月7日、権中納言に任ぜられ、同年8月4日には正三位に昇叙。
- 建武2年(1335年)1月5日、従二位に昇叙。
- 建武3年/延元元年(1336年)11月25日、左兵衛督を兼ねる。
- 建武4年/延元2年(1337年)7月20日、左衛門督に転任。
- 建武5年/延元3年(1338年)4月28日、大嘗会の検校を務め、同日正二位に昇叙。同年8月4日には左衛門督を止められる。
- 暦応2年/延元4年(1339年)12月27日、権大納言に転任。
- 興国3年/暦応5年(1342年)1月21日、養母の喪に服した。同年4月28日には父・家定が薨去したので再び喪に服し、同年9月7日に復任した。
- 正平3年/貞和4年(1348年)10月7日、右大将を兼ねる。
- 正平4年/貞和5年(1349年)9月13日、大納言に転正。
- 正平6年/観応2年(1351年)6月26日、内大臣に任ぜられる。任内大臣の兼宣旨はなく右大将は元の如し。同年9月19日、素懐を遂げ出家した[2][3]。法名静圓。