苓北町
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| れいほくまち 苓北町 | |||||
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| 国 |
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| 地方 | 九州地方 | ||||
| 都道府県 | 熊本県 | ||||
| 郡 | 天草郡 | ||||
| 市町村コード | 43531-7 | ||||
| 法人番号 | 8000020435317 | ||||
| 面積 |
67.58km2 | ||||
| 総人口 |
6,154人 [編集] (推計人口、2026年1月1日) | ||||
| 人口密度 | 91.1人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | 天草市 | ||||
| 町の木 | ツバキ | ||||
| 町の花 | ハマユウ | ||||
| 苓北町役場 | |||||
| 町長 | 山﨑秀典 | ||||
| 所在地 |
〒863-2503 熊本県天草郡苓北町志岐660番地 北緯32度30分48秒 東経130度03分17秒 / 北緯32.51328度 東経130.05469度座標: 北緯32度30分48秒 東経130度03分17秒 / 北緯32.51328度 東経130.05469度 | ||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||


隣接市町村

天草諸島の1つ、下島の北西端に位置しており、西は天草灘、北は千々石灘に面する。東西の長さが9.76キロメートル、南北の長さが12.3キロメートルであり、総面積は67.09平方キロメートルである。町名は「苓州(天草諸島の異称)」の北部にある事に由来している。
細長く突き出た富岡半島は陸繋島として知られる。半島から伸びた砂嘴の巴崎は小天橋とも呼ばれ、県指定の天然記念物ハマジンチョウが群生する[1]。早崎瀬戸はミナミハンドウイルカのイルカウォッチングで知られ、旧富岡町にはイソモク、マメタワラ、ヤツマタモク、アカモク等の藻場が存在している[2]。
地名
- 坂瀬川(旧坂瀬川村)
- 内田(旧志岐村)
- 上津深江(旧志岐村)
- 志岐(旧志岐村)
- 白木尾(旧志岐村)
- 年柄(旧志岐村)
- 富岡(旧富岡町)
- 都呂々(旧都呂々村)
歴史
数百年にわたって天草の中心地だった。1205年志岐光弘が志岐六ヶ浦ノ地頭となり、坂瀬川、志岐、都呂々、富岡を含む天草下島の北部一帯を約400年統治する。
戦国時代末期には全盛期を迎える。キリシタン大名志岐麟泉はイエズス会の宣教師を招いて布教を許し、キリシタンを受け入れた。これを通じて麟泉は南蛮貿易を行おうとしたが、実現はしなかった。
江戸時代には富岡に代官所が置かれ、約270年間天草全土の郡政を治め、天草の政治、経済、文化の中心地として繁栄した。
1914年(大正3年)、1927年(昭和2年)の台風接近時には高潮の被害に見舞われ、海岸線付近の人家や田畑に壊滅的な被害が生じた[3]。
1953年(昭和28年)の町村合併促進法施行により、天草郡坂瀬川村、志岐村、富岡町、都呂々村の4町村の合併の機運が高まり、1955年(昭和30年)1月1日、都呂々村を除く3町村が合併、苓北町が誕生した。翌年、都呂々村が編入合併され、現在の苓北町となる。
年表
経済
姉妹都市・提携都市
地域
人口
| 苓北町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 苓北町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 苓北町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
苓北町(に相当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局 国勢調査より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
行政
- 町長: 山﨑秀典[6]
教育
- 大学
- 高等学校
- 熊本県立天草拓心高等学校(マリン校舎)
- 中学校
- 小学校
- 特別支援学校
交通
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
出身者
ゆかりのある人物
★は故人
- 吉本隆明(思想家、詩人、評論家)- 両親が苓北町出身[11] ★
- 大仁田厚(プロレスラー)- 祖父が苓北町出身[12]
- コスメ・デ・トーレス(宣教師)- 苓北町で死去 ★
