菅野光夫

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1952-08-28) 1952年8月28日
没年月日 (2007-03-22) 2007年3月22日(54歳没)
菅野 光夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県那珂郡瓜連町(現:那珂市[1]
生年月日 (1952-08-28) 1952年8月28日
没年月日 (2007-03-22) 2007年3月22日(54歳没)
身長
体重
173 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手
プロ入り 1974年 ドラフト1位
初出場 1975年4月5日
最終出場 1985年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 日本ハムファイターズ
    北海道日本ハムファイターズ (1986 - 2004)

菅野 光夫(すがの みつお、1952年8月28日 - 2007年3月22日)は、茨城県出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。

武相高校では、1970年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、東海大相模に敗退。高校同期にエースの東門明がいた。

卒業後は社会人野球三菱自動車川崎に入社。守備の名手として知られ、1974年都市対抗では東芝の補強選手としてチームの準決勝進出に貢献[2]。同年には全日本選抜メンバーとしてキューバに遠征する。

1975年、日本ハムにドラフト1位で入団[1]1977年には行沢久隆遊撃手の定位置を争い、1979年からは主に二塁手として起用される。1981年日本シリーズでは全試合に出場し、12打数5安打2打点の好記録を残す。1983年までレギュラーを守るが、翌年には五十嵐信一白井一幸にポジションを譲る。

当時の日本ハムは、菅野以外にも1976年に行沢(1979年に西武へ移籍)、1978年には古屋英夫1979年には高代延博と若手内野手を次々と獲得し、彼らの成長が1981年のリーグ優勝をもたらす一要素となった。菅野も内野ならどこでも守れるユーティリティープレーヤーとして、地味ながら優勝に貢献した。

1978年のオールスターゲームではファン投票で遊撃手部門1位となったが、9ポジションのうち8人を日本ハム勢が占めたことが問題となり、三塁手の古屋英夫と共に出場辞退となった。古屋は翌年にオールスター初出場を果たしたが、菅野は結局オールスターに出場できなかった。

1985年に現役引退し、翌年日本ハムの守備走塁コーチに就任[1]2000年には二軍トレーニング兼内野守備コーチ。2005年からは鎌ヶ谷の選手寮「勇翔寮」の寮長を務め、ダルビッシュ有をはじめとした若手の面倒を見続けた。

2007年1月の球団の健康診断で肝機能の数値が高いということを知らされ、2月に検査を受けた。直腸らしきものがあると言われ、3月に再検査をし、直腸癌と確定された。予想以上に癌の進行が早く入院したが、同年3月22日[3]直腸がんによる心不全のため死去[要出典]54歳没

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1975 日本ハム 7590803130001343370300140.163.193.163.355
1976 5911098152451031102430702172.245.308.316.625
1977 11823320517387004515741331002351.185.227.220.447
1978 9222118824486236715531021803314.255.327.356.683
1979 1142712333162100381301871601804271.266.329.348.677
1980 121362302416980121135211102622705525.228.301.374.675
1981 11633227622539127014733102104230.192.259.254.513
1982 1041731472034711461353811502142.231.309.313.622
1983 10519816820408205215911231203170.238.296.310.605
1984 6144376610070005020001.162.205.189.394
1985 4424186200020015010041.111.158.111.269
通算:11年 1009205817522053896172152716867391361113402523417.222.285.301.586

記録

初記録
節目の記録

背番号

  • 1(1975年 - 1985年)
  • 78(1986年 - 2004年)

脚注

関連項目

外部リンク

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